プーさんたまにがおっきー

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第三章 自分とは

中学3年生は私にとって考えさせられる一年だった。 中国国内で起こった、ある島に関する問題の抗議デモ。それが運動会シーズンに繰り広げられた。 自分達の乗るスクールバスにも石が投げられ、怪我人は出なかったものの、肩身が狭かった。 タクシーに乗っても日本の悪口を言われる時期もあった。過去の歴史がこんなにも痛感するとは思わず、中学生にして、自分が日本人であることに誇りを持てずにいた。 一方で、ニュースを見ると日本もたくさん中国のデモを流しており、それを大きくバッシングしていた

    • 第二章 学校生活

      そんな日本人学校での生活 いくら日本人学校とはいえ馴染めるはずはなかった。 相手は私より海外生活の長い帰国生 発言も多く、のんびり育った私としては馴染むのに時間がかかった。 それだけでなく、海外の学校ならではの避難訓練もあった。地震、火災はもちろん、不審者対策である。 あの高い刑務所のような門は侵入者を防ぐためのものだと知った時、自分たちは守られているという安心感と同時に刑務所の囚人の気分にも陥った。 門以外だけでなく、外からの侵入者を防ぐために、異常が発生した場

      • 第一章 中国での生活

        2010年四月某日 中国 北京での生活が始まった。 今まで日本の幼稚園、小学校と両親のお陰で行けた私立の学校。 そんな学校も卒業し、中国での中学校生活。 私の異国での学校生活は、日本人学校から始まった。 北京の日本人学校には沢山の過去を持つ子がいた。 ずっと海外に住んでいる子、親のどっちかが中国人、大使館関係、もちろん仕事の都合で来ている子もだ。 初めて学校に行った時、日本人の学校ぽさも感じながら、どこか施設のような実感がした。 高い刑務所のような門、警備員さん