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「新世界」

今日はドヴォルザークの交響曲第九番「新世界」を聞いた。
朝からなぜか、新世界の第一楽章のフレーズが
頭の中で繰り返し流れてきていて
あれこれしているうちに、そのうち止んでいたのだけれど

午後、そうだそうだ、新世界を聞こうと
CDをセットした。

そうそう、このベタな感じというか
いかにもな感じ?
悪く言えばダサい(ごめんなさい)
音楽のことなんて、なーんもわかっちゃいない私の妄言なんで
許してくだされ。

でも、今日はこれが聞きたかったんだよなーっと。
思い返せば、高校時代にはよく聞いていた。
自分ちは、クラシックなんてガラじゃなくてね。

小学校、中学校の義務教育にはホント感謝している。

音楽も、美術(図画工作)も、家庭科も
学校があったから触れることができた。

前世とか前前世とか、もしあるのだとしたら
きっと、その前世だか前前世だとかの私が望んだんだろう、
なんて、妄想する。

かつての私が家では触れることのできないものの中で
私が触れたいと願ったものが
実現するために学校ができたのかもしれないと。

私ひとりじゃなく、多くの人々が同じように願ったのなら
それが時を経て「学校」の形をとったとしても不思議じゃない、なんて。

今は、学校制度に関する問題点が多数浮かび上がり
学校そのものに行き詰まりが見える時代でもあるけれど
きっと、そんな中で、
多くの人が何を望むか、
が反映される時代がやってくるかもしれないじゃないか。

時代は一貫して良くなっている、というのが一つの見方として
正しいかどうかはさておき
考えるべきことは正しさではなく、
どう考えたら気持ちが安らぐかだよね。

正しさにアイデンティティを求めると苦しいよな。

私の好きなマンガ(タイトルはあえて伏せるww)のセリフに
こんなのがある。
「その考えや、良し。」

ね、これだよね。

ドヴォルザーク、
その人の偉大さも、生み出された楽曲の価値なんてものも
私は何も知らないけれど
どんな縁があってか
今ここで、この私が
この音楽に触れているって
やっぱり素晴らしいな。


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