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枯草物語

バスカヴィル家に仔犬が産まれたと聞いて
笑った・・・Aに
そわそわした・・・Bに
「早く見に行こう」と立ち上がった・・・Cに
以下、D、E、F、G~Zまで

我が愛しき26名の旧友たちに
この駄文を贈ろう。

いや、書く前から「駄文」だなどと決めつけてはいけない。
  いやいや、もうわかってるから  
  なんでもいいから早く続きを書きなさい  
なんて声も聞こえてくるけれど
それは、多分EとHの声だ。

(*注:ドイツ語っぽく「エーとハー」と読んでもらえるとうれしい。
アー、ベー、ツェー、デー・・・の要領で最後はツェットだ。
だから、26名の旧友にも26人の部下のイメージを重ねたい。)

注釈はこれくらいにして、さっそく始めるとしよう。

バスカヴィル家の犬といえば
コナン・ドイルの小説だよな、と
まず多くの人が思い浮かべるに違いない。

が、しかし
違うのだ。
レイ・ブラッドベリに詳しい人なら
ああ、こっちか・・・とすぐに気づくだろうという
ささやかな期待をもって書き始めたのである。

とは言っても
別段、レイ・ブラッドベリについて、
あるいはその作品について何か語ろうという趣旨の文章ではない。
ご安心を。
(いや、誰も心配してないから、早く続き書いて。)

SFにハマっていた中学高校時代、
私はせっせと授業中に小説を創作し続けていた。

だいたいが、SF小説のパクリ、というより
パロディです。
クラスメイトや学校の教師陣が実名で登場する
他所には決して出せない、身内受けだけを狙った小説で

授業中の回し読み、放課後の作戦会議(?)
もう、とにかく楽しくてしかたなかった。

あ、昔を懐かしんでいる場合ではない。
バスカヴィル家の犬がどうしたというのだ?
早く続きを書きなさい!

そうそう、初めの方にも書いた通り、
コナン・ドイルの『バスカヴィル家の犬』とは何の関係もない。

ただ、「魔犬」とも呼ばれた犬のイメージがぶち壊されたらいいな
という隠れた思いはある。
(書いてしまったから全然隠れていない。)

恨みやつらみ、憎悪、推理サスペンスには不可欠要素ともいえる
これらのよろしくない感情は
人間、生きていればどこかで遭遇するもの。
程度の差こそあれ。

だから共感も呼ぶし、
それが解消された瞬間の感動も深くなるというものだ。
やだねえ。
世の多くの物語は
そうやって「悪感情からの解放」で感動させる形式が多いよなあ。

ま、仕方ないか
そういうもんだし。

だけどさ、
仔犬が産まれた
それもバスカヴィル家にだぜ
なんて話題がニュースになるっていうのも
想像すると、なかなか楽しいじゃないか。

そう思いついたもんで
書き始めたんだな。この文章。

だから、オチもないし、教訓もない。
どこにも「イイ話」の要素はない。
つまんないなと思えばそこまでだ。

できるなら、
もう少し笑いの要素があった方がよかったんだけど
そんなものもない。
ないないづくし、だけれど
世の中には「ない方がいい」ものも多いんじゃないかね。

いやあ、「ない方がいい」なんてこと自体がないのかもしれないね。
多様性、ここに極まれり、だな。




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