野生の感覚

川から上がり、冷えた身体を温泉で温めた。

外に出ると日は傾き、柔らかな空気が藤里の町全体に漂っていた。

なんだかその時、熊に出会うんじゃないかと言う感覚に襲われ、一番前を走る車の助手席に座った。藤田(地元ガイド)さんの運転する車は軽快に、気持ちいい風を切った。どこまでも穏やかな午後だった。

きっとこの心地いい空気は、気候的な過ごしやすさだけではない。
白神の森の豊かさ、流れる水の凛々しさが合わさって生命体としての森と、その恩恵を受け、心の中に豊かな流れを共有して暮らす藤里町の人柄からも滲み出ているのだろう。

車がキャンプ場に近づくにつれ、緊張感が高まった。潜在意識というやつが働いたのだろうか。

その時、僕は岩陰に動く黒い何かを見つけた。
一頭のツキノワグマだった。

車から降りると、クマは川の方へ逃げていった。直接は見えなかったが、あそこら辺だろうと推測して、川の上流側から近づいた。直線距離にして30メートルくらいまでゆっくりと近づいたとき、草陰に見つけた。するとクマも僕の気配に気づき、ゆっくりと首だけを動かしてこっちをみた。
2秒くらいだったか。しっかりと目があった。その瞬間死への恐怖を感じた。鳥肌がたった。

そして次の瞬間、生きているという実感が一気に押し寄せてきた。

全速力で走った。
こういう場合は逃げてはいけないと頭では分かっていても、身体の反応の方が早かった。

恐る恐る振り返ると、クマは背を向け、反対岸の方へいなくなった。

その背中はまるで
これ以上近づくなと強くだが優しく物語った。侵してはならない人間と野生との距離がそこには確かにあった。
しぜんとはどういうものか、初めて突きつけられたのだ。

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