2月に思うこと

2月上旬、小学生に聖バレンタインという人物の話をした。しかし、小学生たちは2月14日が彼を記念した日だと知らなかった。だから、チョコレートを渡す日ではないと知り、本気で驚いていた。その反応に、私もびっくりしてしまった。
紛れもなく21世紀生まれ、物心ついた頃からインターネットにアクセスできたはずだ。おそらく、調べ方を知らないのだろう。国語の教科書で調べ学習が本格化するのは中学年以降だ。けれども、百科事典くらいはちゃんと引けると良い。1人でも事典さえ引けたら便利なのだけど…などと、いろいろな思いが交錯する。

そもそも、彼らが知らないことを自らの手を使って知ろうとする姿をあまり見たことがない。そのくせ、どんな小さなことでも人からの情報を物凄く当てにするのだ。読書量に加え、情報リテラシーのなさを目の当たりにすると、見えない格差を垣間見てしまったようで愕然としてしまう。いや、好きな男子にチョコレートを渡して告白する日=2月14日という認識を彼らに埋め込んだコンテンツがあるのだ。きっと、少女漫画の中に広がるお花畑だけは令和になってもアップデートされていないのだろう。
かつての少女漫画脳をアップデートすることができた大人は、誰でもいいから恥ずかしさを越えて、今ここにバレンタインの正しい過ごし方を提示すべきだ、と私は思った。それは、バレンタインさんの苦難に思いを馳せれば、自ずとわかる種類のものだ。バレンタインとは、好きな人といられる幸せを噛みしめる日だと思う。私は、自分個人の考えとして、このことを彼らに伝えてみたいと思った。

しかしそこへ、今年はバレンタインが火曜日だからチョコレートを渡せなくて困る云々が耳に飛び込んできた。思わず私は、呼び出してチョコレートを渡せばいいってものじゃない、それは自己満足に過ぎないと意見をしてしまった。チョコレートを渡せたところで、相手が自分を好きでない場合は困らせてしまうことになる。だからチョコレートは、相手との関係性を見極めてはじめて渡すものなのではないだろうか。突如展開してしまった自論は、至極一般的なものだと思う。一方で、果たして相手を納得させ得るだろうかと私は思った。少女漫画は好きだが、恋愛脳ではない私が話すのでは、相手はいまいちピンときていないのではないか。この話題の場合、体験者は語る、みたいな感じのほうが、実感を伴って伝わるのではないか。役不足、という文字が空間に大文字で立ち現れてくるような気がする。

私はバレンタインにチョコレートを買って自分で消費したことはあるものの、渡したことなどなかったと記憶している。しかも、女子校に進学したため、かっこいい憧れの女性の先輩を追いかけるうちに、バレンタインや男子のことは視界及び脳内から立ち消えていったのだった。だから大枠では、バレンタインにウキウキしている小学生の参考になりそうなエピソードは皆無だ。けれども、憧れのひとのようになりたいと強く思い、その背中を追って歩んでいこう、自分を高めていこうとする姿勢は誰にも負けない。幼稚園時代に始まり、節目節目で常に私を駆動させてきたのは、憧れの存在だった。

学生時代に憧れていた先輩は、ある日後輩たちのために合コンをセッティングした。そして、私にも声をかけてくれた。私はそれ自体が嫌だった。先輩は、後輩たちのお目付役として私を見込んで選んでくれたものと思っていたけれど、実際はただ普通に勧めてくれただけだった。いつも背筋が真っ直ぐで颯爽としている先輩に私は憧れていた。帰り道、私がする他愛のない会話に耳を傾けて、きちんと言葉を返してくれる先輩とお話しする時間が好きだった。猪突猛進型の私をなだめるように、心に届くような言葉を選んで穏やかに語りかけてくれる。繰り返しのその柔らかな時間に私は他者との対話の仕方を学んでいた。そんな先輩から、他の子とは違う特別な子だと思ってほしかったのに、まるで普通の子だと思われたようで、私は多分少しガッカリしたのだろう。

恋愛感情は、憧れの感情と入り方の部分はほとんど同じであるように思える。私はかつて、憧れの先輩に拙い質問をしたことがある。それは、体験から学んだことだけではなく、読んだり観たりして導き出したことも本当のことだと考えてよいか、というものだった。先輩はうなずき、私は自分が肯定されていると感じることができた。

数十年前の夕暮れ、私たちはいつも歩きながら風の中でしばしば会話を交わしていた。それは、いつも一週間の中で当たり前にあった時間に過ぎない。その時受け取ったものは見ていた景色と一緒にそのまま脳裏に刻まれてしまった。繰り返したその時間は戻ってくることはないだけに、今となっては忘れられないものになってしまった。記憶の扉は、たまに何でもない日常からもすっと開いて、懐かしい言葉を脳裏に蘇らせてくれる。私のことは忘れても、交わした言葉をどこかで思い起こしてもらえるよう、目の前の子どもたちと向き合って対話をしていきたい。