木に咲く花

ノルディックウォーキングで森の道を歩いた。森の奥でコブシがひっそりと満開で、桜はチラホラと咲いている。日当たりの良い道のそばの桜は、夕闇に白っぽく浮かび上がっていた。
ポケの花は葉をつけはじめ、レンギョウは黄色い優しい色合いで迎えてくれる。花が好きだった祖母のおかげで、幼い頃から花を触り名前を覚え良い香りをいっぱい吸い込んでいた。私がここに来ていない間にも、花たちは一日また一日と姿を変え、季節が着実に進んでいることを色彩の変化で知らせる。
大人になってから木に咲く花が好きになった。黙っていてもちゃんと花を咲かせて季節のめぐりを教えてくれる。きっと育ててくれたひとの感覚が幼い心にそのまま残るのだろう。
通勤途中、排気ガスいっぱいの道の隅っこに沈丁花を見つけて嬉しくなる。その香りをおずおずと、しかししまいには肺いっぱいに吸い込む。そうすると、嫌な物がみんな出ていく気がする。これが、この春の通勤時に必ずやっていたことで、繰り返すことでおまじないのようになっていた。

香りは記憶を呼び起こす。沈丁花は懐かしく胸がぎゅっとなるような場面を簡単に呼び起こす。沈丁花の香りから、私には守られていた子ども時代があったことを認識する。幸せについて何もかも全く分かっていなかった。振り返らなければ分からないなんて愚かしい気がした。

ノルディックポールをコツコツついて歩いていると、犬のお散歩ラッシュにぶつかった。ノルディックポールを見て固まったり、怯えから吠えたてたりする犬たちは、ただ長い物を怖がっているのではない気がした。ポールの動きや音から、私の内面のささくれた状態を読み取っているのだろう。それくらいのことを一瞬で見て取り、犬たちは目の前の人間がどういう人間なのかを悟る。彼らは本当に聡い。飼い主さんに謝って挨拶を交わしても、私の心を見ている彼らの第六感だけは絶対にごまかせない気がした。

固まってしまったゴールデンレトリバーに「家に帰ったらすぐご飯だよ、早くご飯食べに帰ろう?」と語りかける飼い主の初老の男性。吠えたてる柴犬を見て、申し訳なさそうな顔で「すみません、気にしないでくださいね」と謝ってくれる快活な女性。外界とはいえ、彼らの穏やかな内面は空間を通してこちらに伝わってくる。けれども、私は今、彼らのようではないのだなと分かる。それが証明されたことが悲しかった。

いつかまた、かつての春の1日のように晴れやかな気持ちで木に咲く花を一日中見ていたいと思う。