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タヌキのパトロール

それは、植え込みからひょっこり顔を覗かせた。2つの光る目がチキンをほおばる私を見ている。きっと猫だろう、と私は思った。なぜなら、その動物ははじめは慎重に緊張感を保ちながらこちらに近づいてきたからだ。しかし、猫にしては丸々しすぎている。黒っぽい顔と短いしっぽでようやくタヌキだと気づいた。でも、夏毛のシーズンなのか少々痩せている気がした。
チキンの匂いに釣られたのかもしれない。ひょこひょこと私のそばまでやってきたときにはもうタヌキは警戒を解いてしまって、自由に地面を嗅ぎ回りはじめていた。そして、その呑気そうな動きに油断した私は、いつの間にか、かの小動物に背後を取られていた。タヌキは凶暴!エサをやらないで!という注意喚起のポスターのイラストが頭をよぎる。人間の息のかかった公園エリアに棲んでいても、野生動物は野生動物だ。身の危険を感じた私は慌ててチキンの入ったボックスをしまってベンチを立つ。

タヌキのほうは意に介さず、相変わらず地面を掘って何か食べている。必要以上に人間に興味を示すことなく、落ち葉を踏みしめながら森をどんどん進む。ここは、きっと彼のパトロールコースでエサ場なのだろう。慣れきった場所を歩く、確かな身体の動きだ。タヌキは、気づけば傾斜地の階段を登っていってしまった。階段を降りてきたひとたちも、あら、やっぱりいるんだねーと別段珍しがることもない。地域猫に出会った時のような気軽さで通り過ぎていく。

私には、タヌキ自体が珍しかった。公園という環境にすっかり適応していることに加えて、人間なんて気にしない、ここは俺らの縄張りなのだから、というクールな感じも新鮮だった。いや、一つひとつの動き自体はクールとは程遠く、あっちに行ったりこっちに行ったり、気分でより道している。タヌキは、そんなふうに愛嬌があるユーモラスな雰囲気を醸し出しながら、藪の中で忙しなく動き回っていた。

タヌキを間近に見たのは、これが2回目だ。1回目は深夜のバス停で、よく通る道をいつもは通らない時間帯に歩いて遭遇した。今回も、よく散歩する公園に夜やってきたことで出会った。散歩に出るとき、私にはたいてい決まって通る道があって、無意識にその道を辿ることが多い。この日は、それがタヌキのパトロールコースと重なったということなのだろう。元々この公園は彼らの生活圏であり、もしかしたら公園ができる前からタヌキの領分だったのかもしれない。本当にタヌキがいるなんて私が信じていなかっただけなのだった。

タヌキの日常に接したことは、私には非日常体験だった。公園には、涼しい風に誘われてやってきたひとたちが個々人で、複数で、公園の黒い闇の中を歩いたり走ったりしていた。その遊歩道には小さなクワガタまで落ちていて、私を驚かせた。探しているときには決して見つからず、思ってもいない時に突然姿を現す。夜の公園は謎かけのように、野生動物のほかにもいろんなものを見せてくれる。

森の中で、ぼうっと2つの小さな明かりが灯っている。近づくと、それはiPhoneを持った人間だとだんだんわかってくる。いったいあの場所でこれから何が始まるのだろうとワクワクする。ある時は、ガヤガヤと声のする円陣があり、中から青い炎がシュンと音を立てて上った。歓声が上がって花火だと知り安堵する。暗闇で見ると、青い炎だけが一瞬強くあたりを照らし、魔法陣から何か召喚しているかのように怪しい。整備され、管理された公園は、人間の手の中にあると信じて疑わない場所だからこそ、暗闇で出会うものたちには余計びっくりさせられるのだろう。

今年は連日の猛暑が辛くて、昼間の時間に歩いたり走ったりすることがなくなった。けれども、この夏、いつもの年より少しだけ多く夜の時間を歩いたことで、私の感覚の中に新しい回路が出来上がってきたような気がしている。太陽が照らす昼間、そこで目にしているものは、きっと全体の中のほんの一部なんだろうと思えた。