家を出ないで走ることについて考えた三が日の記録

年末に発熱し3日寝込み、元旦に解熱した。発熱時すでに心を固めていたのか、起き抜けに転職活動を行う。そしてそれ以降、咳をしながらむやみにお茶を飲み、ヒーターのそばでゴロゴロしている。
風邪とはいえ、もう6日の間地面を踏んでいない。ベランダからたまに見る外の世界は新鮮だ。太陽の光のあたる角度に春の兆しを感じる。年明けにくっきり見えていた富士山は、今日は雲が多くてよく見えない。はるか遠くには、観覧車のシルエットが見えている。引き籠っていてもストレスは感じていなかった。収納棚には常に何かストックがあるので、次第に外に出る必要性を感じなくなった。たまに眼下の通りをランナーが駆けていく音がする。規則正しく身体を動かすだけで、結構な速度だ。人間ってあんなに早いんだ、凄いな!と思ってしまう。自分が数日前まで室内をよろよろ歩いていたために、急に目に飛び込んできたランナーの高速移動の動きは魔法のように珍しい。私も走っていたのに、ランナーとしての意識はすっかりゼロ地点に戻ってしまった。

今日も富士山の方角がオレンジ色に染まっていく。台形の頭をちょこんと覗かせる富士山を見つめ、心の中で富士山に挨拶を交わす。こんなに距離が離れているにも関わらず、毎日目にするせいで、私の中で山岳信仰めいた何かが始まってしまいそうだ。完全に人に会わず地上にも降りず、家の中の主な活動として私は滞りなくお茶を沸かした。お茶葉には変動があり、はじめに無農薬紅茶がなくなり、次にアフタヌーンティーのルイボスティーが底を尽きた。そして最後にEN TEAの麦茶と紅焙じ茶が残った。しかし、私は買い物に出ず、この穏やかで怠惰な生活に細波を立てることをしなかった。茶葉の消費量が問題なのではない。状況に慣れきってしまうこと自体に大いに問題があった。

外界はすぐそこに広がっているのに、今は距離が遠かった。私は、イメージの中で家を出てみることにした。奇しくも、ランニング部の走る仲間は、みんなで一緒に家を出るRUNというオンラインイベントを実施している。いつもは近所のどこを歩いたり走ったりしていたのか、思い返してみると気に入っていた道ほど普段の生活では遠ざかってしまっていた。普段は、機械のように嫌々ながら最短ルートを動き回るような身体の使い方をしている。イメージの中では実際の動きがない分、本当はこんなふうに歩きたい!という自分の思いにすっと気がつけたような気がした。

年明けに目にしたランナーの動きに引き付けられたのはきっと、自分の走りたい道の上でのびのびと身体を動かせていたからなのだろう。自分自身を行きたいところに自分で運ぶ。その自由は、動きを通して私に届いていた。
お茶のおかげで咳も鼻水もいつの間にか収まっていた。自分も支度をして走りだそうと思った。お正月休みの間に、好きだった川の道にまた出かけてみたいと思う。あの道には、チビとかみーちゃんとか呼ばれる猫がいる。今日みたいな陽射しの強い日には暖かいコンクリートの上にきっと座っているはずだ。