みんなが知りたいのは多分目に見えないもののこと

大人になってから、アニメが本当に好きになった。アニメ視聴をはじめたきっかけは、図書館司書をしていた時に出会った小中学生たちで、彼らの好きな作品を知りたいと思ったことからだった。図書当番の小学生は、返却された本のバーコードをスキャニングしながら、『魔法少女まどか☆マギカ』(2011)の面白さを語ってくれた。中学校の掃除時間を知らせる放送は、『荒川アンダーザブリッジ』(2010)のオープニングテーマで、図書のリクエスト用紙を配れば、アニメ化された漫画作品が入ってきた。図書室掃除を担当している女子中学生に読みたい本を尋ねると、好きな少女漫画を例に挙げながら、恋愛ものが読みたいと訴えてくる。

みんなの要望に応えたいけれど応えられない私は、どうしたものかと頭を抱えた。アニメや漫画でしか表現できない世界はある。それはもう、そのジャンルにお任せするしかない。だからせめて、中高生向けの小説の中でも、彼らの感性に近そうな作品を学級文庫の本として各クラスに送り込んだ。挿絵がポップな小説の他、理論社のよりみちパンセシリーズや児童文学も混ぜ込む。『不思議の国のアリス』や『ピーターラビットのおはなし』は、かわいい本として女子にアピールできるのだ。彼らは朝読をするので、教室で読む本を必要としていた。毎日の単調な繰り返しの中で、彼らはいつもと同じ安心感を求め、同時にいつもとは違う何かを喜んで迎え入れるような部分を持ち合わせているように見えた。だから、新しく配置された「図書室の先生」である私にも興味を示して、自分の好きな物語のことを熱く語ってくれたのだと思う。

「人っつうのはよぉ、みんな心の中には熱いかたまりみてぇなのを持っていて、それを丸出しにして生きてるわけでなくて、なんでもねぇみてぇにして暮らしてんだなぁ。」

「気持ちとか、心とか、魂とかは、大事なものは目に見えねぇものばっかりで……ここにあることを確認しようとすればするほど、本当はないような気がして……けど、すぐそこに触れるんじゃねぇかと思うくらい、今……あるのが分かる!」

「目に見えねぇものが大和にちゃんと伝わるように、おれは真っすぐでいよう!」

上記の熱い台詞は全て、今年の冬に私が視聴したアニメ『俺物語‼︎』(2015)の主人公・剛田猛男(ごうだたけお)が作中で放つ台詞だ。このアニメの原作は、河原和音・アルコ両先生のコンビによって2012年1月から2016年8月まで少女漫画雑誌『別冊マーガレット』(別マ)にて連載され、全13巻で完結している。咲坂伊緒『アオハライド』(2014)・八田鮎子『オオカミ少女と黒王子』(2014)同様、アニメ化を経て実写化された作品だ。
『俺物語‼︎』は、常人離れした身体能力と正義感を持つ純情な高校一年生・剛田猛男が主人公の少女漫画だ。仁義に厚い猛男は、同性から圧倒的に支持されて慕われている。しかし、異性には全く好かれない人生を歩んできた。そんな彼が、電車で痴漢に遭っていた女子高生・大和凜子を助けて、彼女に一目惚れしたところから物語が動き始める。彼らを取り巻く周囲の様々なエピソードを通して描かれる、不器用すぎる恋模様が見どころのラブコメだ。私は、アニメ視聴を始めて8年ほどしか経過していないので、作品研究的なことを言える立場にはない。しかしながら、このアニメのテンポの良さには初回から引き込まれてしまい、ラブコメ作品としてとても見やすいと感じた。そうした意味では、『桜蘭高校ホスト部』(2006年)のように男女関係なく楽しめる作品といえるだろう。

私はどうやら、ラブコメや日常系というジャンルを好んでいるようだ。次から次へと新しい作品を探し求めてきた結果、気軽に気負いなく視聴できて敷居が高くない、そんなジャンルが好きなことがわかったのだった。大人になってから本腰を入れてアニメを見始めたため、見るものがなくて困るということはない。Wikipediaを開きつつ、キャスト陣や脚本家を頼りに当たりをつけて視聴を繰り返す。Amazon prime videoとNetflixを交互に見ながら、dアニメストアも覗いて、お目当ての作品を見つけると一気に6時間くらい費やす。手に汗握るようなドラマのある長編に心を動かされ、キャラクター描写や台詞やオープニングテーマの歌詞の意味を考えたりする。

これは、読書とは全く違う、視覚と聴覚にダイレクトに飛び込んでくる物語体験だ。心の中を湖に例えるなら、自然の流れでいつの間にか底が深くなっていくのではない。視聴している間中、急ピッチで湖の底は掘り下げられ、ぶくぶくと無数の泡が湖面に浮上していく。そして、話数によっては、さっきまでお腹を抱えて笑っていたのにも関わらず、なぜかぼろぼろと涙をこぼしていることもある。たった25分でそれが出来てしまうのだから、少年少女の心をがっちり掴んでしまうのも無理はないと私は思った。活字離れと言われて久しい中、ライトノベルでも漫画でも子どもたちが熱心に読むならそれも良いではないか、という意見にすら素直に納得できなかったというのにだ。
面白いもので、アニメを視聴して気に入る作品があれば、原作が何だろうと関係ないと思える新しい自分が生まれていた。心が動かされれば、アニメ放送終了後、ライトノベルでも漫画でも喜んで続きを読む。弾みがつけば、人は一気に6時間休みなく画面に貼り付けるし、分厚い物語の本も一晩かけなくたって自分のものにできる。この本は絶対面白いから読みたい!だとか、この二人を最後まで見届けなくては!だとか、強烈に思うきっかけがあるかどうかにかかっているのだろう。

「上手く言えない……でも好き……そういうものかもしれない。」
「人から見ればどうでもいいことが特別なんだよ!恋なんてそんなもんだ!」

上記の台詞は、同じく私がこの冬視聴したアニメ『俺物語‼︎』で、主人公の親友の姉・砂川愛が発する恋愛観だ。私は正直、彼女が一番好きなキャラクターだった。サブキャラクターである砂川愛に作者が託す役割は、その名のとおり愛の人ということだと思う。この作品には、愛すべきキャラクターが満載なのだが、その全てに作者の温かな眼差しを感じることができる。
恋愛ものの作品を視聴したり読んだりする時、人は無意識に何らかの解をそこに見ようとしているような気がしてならない。誰かのことを特別に思ったりすることの嬉しさや、嫌われたらどうしようという不安をそれぞれが抱えている。それでも、両思いという奇跡的なところに辿り着く過程を、主人公と一緒になって彼に仮託しながら進んでいく。それは、まるで求道者のような歩みだ。私も含めてみんな、目には見えないが確かに存在しているもののことが本当は知りたいんじゃないかと思う。

知らなければならないことも、考えなくてはならないことも多いだろうに、なぜ、こんなことをしているのかと人は思うだろう。私は、子どもたちの物語体験を自分を実験台にして実践していたのかもしれない。子どもたちの想像力の部分は、司書時代に一番知りたかったことだからだ。いや、それは単なる辻褄合わせで、本当は無になって物語に飛び込むのに夢中で、時間を忘れていたというのが正直なところだ。実際に実践してみると、その没入できる時間は至福のひとときだった。例えば恋愛のように、決して目には見えないものや関係性が、物語の中でどんなふうに描かれているかを知りたいと思う。ただそれだけだった。

今視聴しているアニメは『平家物語』(2022)で、一番楽しみにしている。そのオープニング映像は、アニメの作り手側が作品を通して届けたい主題をダイレクトに伝えるものになっている。羊文学「光るとき」の歌詞も、キャラクターたちが花のような笑顔を見せている瞬間とともに流れ、主題を視聴者に刻む。目には見えないものが可視化され、確かにそこにあるのが分かる。一番楽しいと思う瞬間こそが、キャラクターの本当の姿なのだ。このオープニング映像は、今を生きる視聴者と過去に生きた実在の人物たちを繋いでいる。皆、この世界に生まれて自分の物語を生きていることに変わりはない。だけど、目の前にある現実だけでは辛いときもある。だから、子どもたちがそうしていたように、私も媒体に拘らず「物語」をたくさん味わって、日々の楽しい瞬間を紡いでいきたい。

#PS2022