10年ぶりに歩く

フルマラソンがどういうものなのか、よく知らなかった。「ハーフ」の意味は最近知った。今では、フルマラソンやハーフマラソンがランナーにとっての晴れの舞台だということを知っている。なぜなら、オンラインサロンのランニング部の仲間がフルマラソンに挑戦するからだ。ほぼ走らない人を決め込んでいたけれど、せめてみんなを応援したい。みんながチャレンジするマラソン大会というものに少し興味を持ち始めていた。その野次馬根性で馳せ参じた私は、まさに今、フルマラソン前日のランナーたちの圧倒的な熱気に包まれていた。

2022年10月29日土曜日の夕方、私は金沢駅に降り立った。10年前仕事で体調を崩した後は一度も訪れていない。僅かながら確かにあった緊張は、改札を通った瞬間に吹き飛んだ。この町ではすでに、マラソン大会というお祭りが始まっていた。祝祭日の前日の期待感が駅前のモニュメントいっぱいに充満している。到着したランナーが記念撮影している人垣とはじける笑顔の数々が眩しい。この日のために鍛錬してきたランナーたちが、すでに波動のようなものを放ちはじめているのだ。そのそばをくぐり抜けて、私は市街地に向かって歩き出した。

町は基本的に駅から市街地まで徒歩で移動することができる。町のそこここに設置された観光客向けの地図で現在地を確認するだけで十分だった。あとは、10年前の記憶の風景が脳内に朧げな像を結ぶのを頼りに、足は勝手に進んでいった。このまま歩いてゆけば、マラソン大会に出場するランニング部のメンバーと21世紀美術館前で落ち合えるはずだ。はず、というのは、メンバーはそれぞれ市内を移動しているので、今誰がどのあたりにいるのかは、分からなかった。

けれども、真っ直ぐな通りを進む足取りは軽く、ランニングをしているかのようなスピードで滑らかに動く。明らかに10年前とは歩くスピードもフォームも変わっていた。そして何より、私に見えている世界が明らかに変わっていた。今では、どんな場所でも自分の身体を運ぶ主体は自分であり、そのテンポは自在に変えられる。これは、ランニングで自分の身体と向き合う時間を経て獲得した感覚なのだろう。10年前の私を支配していたのは、明らかに内面にある感情だった。町を歩きながら、そのことにあらためて気づく。感情の動きは身体と分かち難く結びついている。

10年前の帰り道、坂道で私は身体をくの字に曲げて座り込んだ。こんなことははじめてだった。自分の好きなことを仕事にしていた分、私の中でストレスは見えないことになっていた。でも、ないことにしてきたそれは、痛みとして私に警告を発したのだった。親は市販の胃痛薬を私に持たせた。私は心の声を聴くことにした。仕事を辞めると告げた時、仕事を通じて知り合った年配の女性は残念がってくれた。親にとって子どもが笑っているのを見るのが1番幸せなことだからと言葉をかけてくれた。

大通りは、どこまでも終わらないように見えた。私はテンポを保ちながら、待ち合わせ場所を目指して歩いていく。今では距離感を捉える感覚も変わってきてしまって、バスで数分の距離なら、歩いても結構すぐだと認識するようになっていた。忘れていた重苦しい感情は、歩行のリズムを刻むたびに外に出て行くような気がした。

曲がり角で坂を上がって真っ直ぐ行くと、すぐに待ち合わせ場所だった。芝生には、遠目に見てもにこにこしている3人組がいた。ランニング部があそこにいる!と一目でわかった私は、横断幕を抱えて小走りに駆け寄っていった。