見出し画像

カワセミに会った日


私は、いわゆる峠のような地形が好きだ。はじめて一人暮らしした町は坂の町で、坂の上からは遠くの市街地にそびえ立つビルと眼下の家々が見渡せた。以来、偶然にも坂のある町に引越してきた。河岸段丘の地形の場合、川がそばを流れている関係で、その町には雰囲気のある坂道が付き物だ。視界が常に変化していく坂道は、毎日歩いても飽きることがない。そのような地形は古代の人々も好ましく思ったと見え、これまで住んだ町には縄文時代から集落が形成されていたようである。今もなお私は、気に入った坂道を上がったり下りたりして日常をやり過ごしている。

その延長で、日常的に昼休みも歩くようになっていた。職場は河岸段丘の坂の途中にあり、駅からは角度のある坂道が蛇のようにぐねぐねと延びている。坂道を低いところまで降りていくと、川に沿って電車が走っている。川沿いの遊歩道には、源流までの距離と、合流する大きな河川までの距離が表示されている。

麗かな春の日、遊歩道の緑陰の下、小さな川の中洲に私はあるものを見とめた。その鮮やかな青い塊は、気がついたら視界に飛び込んできて、私は偶然にもカワセミに出会ってしまったのだった。青く丸いものがうずくまって座っている。しかし、それは少し動いて眼下の川にクチバシを向けた。コバルトブルーの羽の下に白と山吹色ものぞいている。私は慌てて写真を撮った。はじめは遠くから、しかしだんだん、カワセミの真上までやってきて、遊歩道に座りこんでスマホを向けた。

カワセミは、ずっと川面を見つめている。至近距離に人間が立ち止まろうと、遊歩道に通行人が歩いていようと全く意に介していない。昼休みが終わってしまうので、私は遊歩道を離れたけれど、彼は流れから目を離さず、ただじっと佇んでいた。春の強い陽射しに水面がキラキラ揺らめいていた。

近頃は日が長くなってきたので、夕方になっても空にはまだ明るさが残っている。仕事帰りに坂の上から空を眺めると、いつの間にか見える星が変わっていた。日中はぐんぐん気温が上がっても、夕方は少しひんやりした空気を風が運んできてくれる。あるかないかくらいの風の中を、てくてく歩いて家路を急ぐ。そうしなければならないわけじゃないけれど、繰り返す日常の時間は落ち着きをくれる。そう無意識で受け取っているからだろうか。私の足は、なるべく早くと前に進む。

思いがけず珍しい物事に出会う日も、目にしたくはなかった物事に出会うもある。けれども、両方あるのがたぶん普通なのだと今では分かる。そう考えてどんな日もやり過ごす。そんなふうにしていたら、思わぬタイミングで、視界の端に想像もしなかった何かが映り込んでくるかもしれない。私の眼は未だ遠くまで見渡せる。もっとたくさんの景色と知識を映してあげようと思う。