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世界一周を終えて(雑感)

8月1日の夜に出発した世界一周の旅から帰ってきました。

戻ったときに感じたのは、達成感でも疲労感でもなく、なんだか穏やかな気持ちでした。
無事日本に帰ってこれたという安堵感も少し混ざっているのかもしれませんが、余裕ができたというか、焦りが消えたというか。旅先でいろいろ見て、体験して、器が広がったのかも。帰国を喜ぶでも旅の終わりを惜しむでもない、純粋に「ああ、日本だな」という感覚。

最後のシカゴー成田便がANAだったので、その中から日本を感じていました。まわりがほとんど日本人だったし、乗務員の方が丁寧で、こまめに飲み物を持ってきてくれる。有料のwifiをつなげて連絡しながら少しずつ仕事モードに。

空港についてからは…周りの言葉が自然とわかる。Suicaを使って買い物をして、帰りのルートをiphoneで検索する。蒸し暑くて、荷物を背負った背中が汗ばむ。バスの中で王位戦の中継を眺める。地下鉄の狭い改札を抜け、重い荷物を2回に分けて階段で降ろす。車内ではほとんどの人がスマホを触っていて、うたた寝している人がいる。
帰宅して…どれだけ水をはね散らかしても大丈夫なお風呂場でシャワーを浴びる。クーラーを入れて、冷蔵庫の製氷機から氷を出す。

4週間のあいだは当たり前じゃなかったこと。


少しずつ「日常だったこと」に溶け込んでいく。
……でも見方がちょっと変わった気がする。

旅先では不自由なこともあったけれど、日本にはまだないこともたくさんあった。「良い/悪い」ではなくて、単純に「違う」ということを自然に受け入れるようになったのだなと思う。もともと外国にいくことが多かったのでいろんな違いはわかっていたけれど、自分のベースである日本と比較することが多かった。うまく表現できないけれど、日本も「数ある中のひとつの国」という感覚になってきた気がする。「これが私の当たり前」ではなくて「日本だとこうだな」みたいな。

気がついたこととしては、トランク2つで旅をし、それだけで十分足りるんだということ。もともとコレクター気質で、あちこちに物が溢れていて、それに囲まれながら生活していたのですが、世の中にあれば手元になくてもいいじゃん、という気になってきました。所有ではなく共有して利用する。そのほうが楽なんだと。

体調を崩すこともなく、トラブルに巻き込まれることもなく、毎日楽しんで、日本にいたときよりも元気になって帰ってきました。
家じゃなくても生活できるとわかったので、今後さらに旅暮らしになるかもしれません。でも同時に、各地の友人のお家に伺って「素敵なお家!」と感動したので快適な部屋づくりもやってみたい。
どちらに寄るのかわかりませんが、旅の間に荷物を厳選して持ち歩く必要があったために、モノに対する感覚はだいぶ変わった感じがします。いるもの「だけ」を得て、そのほかを諦める習慣が身につきました。
長旅は引っ越し並に気持ちをリセットできるようです。

いままでの暮らしに戻るのではなく、日本での新しい生活をはじめる気持ちでスタートします。

(旅の話は忘れないうちに、でも慌てずに今後綴っていきたいと思います)


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