5/22 かなしみにひたる
ということは、ぬるま湯に浸かっているのに似てるなぁと最近うっすら思う。
悲しいのだけど、日常生活は普通に送れていて
笑顔も出るようになった。
ぬるま湯、というのは
なんとなくあたたかいけどちょっと浸かり続けるには寒さもあったりして。
でも、その寒さの中に一緒に浸る人がいて
その人たちと作る空気がなんとも言えず心地よくあたたかくてふわっと浸っている、そんな感じ。
無理に抜け出す必要もないんだろうし、
泣いて喚いてたくさん涙を流して
忘れるでもなく、慣れていくまで、
このままでもいいかなと思う。
なんとなく元気は出ないんだけど
楽しいことをしよう!という気力もないんだけど
むしろ、得たものもあったなぁと思えるようにはなってきた。
これから先、ともに生きていくはずだった人、私よりも若い人がいなくなるということは本当に苦しいことだなぁと改めて思う。
何歳だからって、なくなっていいわけではないけど
その人がいる未来を想像していた時
それがそうでなくなった時
あながあく、という表現をよくするけれども
そこから全部何かが抜け落ちてしまって
それをどう埋めたらいいのかわかんないところに自分はいる。
今日は仏壇の前の袱紗をみて
あぁ、最後に桃ちゃんのお茶を頂いたのはいつだったかなぁと思ったらまたポロポロと泣けてきて
私なんかまだ彼女と家族になって5年くらいなのにこんなにも悲しみに浸っている。
そして、ご両親や夫の気持ちはいかばかりかと思う。
私にできることは、このぬるま湯にしばらく一緒に浸かっていることなんだけど、結果、私も共に癒されている。
いまは、遅い夕飯の後に、桃ちゃんの仏前に手を合わせて、4人でお茶を飲む時間がとても大切で、時々、ドラム息子もライン電話で仲間に混ざる。
桃ちゃんの声を思い出します。
なんでもそうだけど
本当にあるうちに大切にしておかないといけないな。