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七夕スピリットダンス

昨日の夜は玉川学園コミュニティセンターでスピリットダンスでした。
帰宅ラッシュのピークになる前に玉川学園前に着いて、涼んでいたら珍しく早めに紘矢さんと亜希子さんが到着しました。
ダンスを始めるまでの時間はCDをかけてそれぞれ好きなように体を整えているのですが、紘矢さんの好きなNature Boyがはたきをかけたような雑音だらけです。取り出してみると明らかに汚れていました。

カビなのか、経年劣化なのか、その場にいる人たちで協力してティッシュ、アルコールティッシュ、メガネ拭きと拭いてみて、少しは綺麗になったけど、再生してみるとやっぱり音がおかしいので、本番では別のCDをかけることになりました。

紘矢さんは使えなくなってもなかなか物が捨てられないのと言う亜希子さん。
ダメになったCDはその場でファンの方へのプレゼントになりました。
ずっと山川さんに会いたかったけどお住まいが遠くて、家族でディズニーランドへ来たので、夜はこちらへやって来たそうです。記念になって良かったですね。

私の個人体験では、CDは保存状態が良ければ割と長持ちしていますがUSBメモリはある日突然読めなくなったことがあります。
取っておきたいものは定期的に保存し直すことですね。
私は画像などは特に、ずっと見ない物はないのと同じとして、たまに整理して減らしています。
管理をしなくてもクラウドでいくらでも保存できるので楽ですが、多すぎだと結局何があったのか思い出せません。

シェアの時間はお二人とも健康管理の状況をお話しされていました。
他の方のお話もそうでしたが、今はペースを落として丁寧に自分と向き合うのに良い時期なのだろうと思います。
梅雨が明けたらもう一段階暑くなるし、いつも最大出力でピカピカで元気で!と自分に要求する方が無茶なのではないかな。
そういうのは夏が出番!って方にお任せしましょう。
私は去年の7月中旬に夏バテでダウンしたから、無理せず身の回りのことに注力しています。

スピリットダンスは前回とまたガラッと参加者が違っていて、音楽はちょっと懐かしめだったりして、毎回違いがあるから新鮮な気持ちで踊れます。


紘矢さんの現在の着目は瞑想です。瞑想曲や静けさの中で自分の内側を見ることに、より意識を向けています。
光明真言もお好きですね。
オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン

モロッコの旅もヒントになったのでしょうか。
そういえば、モロッコツアーに行っていた和美さんが久しぶりに参加しました。
海外で言葉もよくわからないまま目的地と違うところに行ったりハプニングを楽しんだようです。
予期しないことを受け入れて新しい展開を経験する。それも旅の醍醐味ですね。

お二人が「80代は」とよくおっしゃるけど、多分10年後は「90代は」って言いそう(笑)
その年代にならないと分からないことがあって、特に身体的な感覚はそうですよねって私も思います。
それでも体質的な差や生活習慣による違いがあるし、あとは心の態度次第なのかな。
強気一辺倒じゃなくて弱気になる自分も許して、でもよくやってるよなぁと自画自賛で行きましょう。
誰かに機嫌を取ってもらわなくてもいいし、日々助け合いの中で暮していることに感謝ですね。

シンクロカラー80代 亜希子さんと三澤さん

私も今の自分に合った生活を模索中です。
特に「見える化」に取り組んでいるところです。
大事にしまい込んじゃって見えなくしているものがあると気づいたからです。
進行中の仕事はちゃんと目に見えるところに置いているのに、自分の大切なアート関連の道具は取り出しにくい奥の方にいっていたり、ファイルに入れて見なくなっていて、そうすると自分が本当に好きなものを忘れてしまいます。
億劫だけど、引き出しの中のものを1つずつ見て「これは今の私に必要?」と自問自答しています。
かつては必要だったけど、もういらないと思うものも結構ありました。
それは無駄遣いじゃなくて、私自身も変化して来たからです。
要らないものを捨てると、そのスペースに新しい素敵なものがやってくる気がします。

自分と向き合う中で「自分は真面目で平凡でつまらない奴だ」という思いが存在していたことに気づきました。
「私は素晴らしい」って思いもあるけど同時に「つまらない」って思いもあったわけです。
それは他人から言われた記憶かもしれないし、認知の歪みかもしれません。

でもさー、平凡でつまらなかったら、自由業で独立生活なんてしてなくない?って思ったら、だよねー(笑)って。

私の描く薔薇だって名画に劣らない存在感なのだ♪

物の見方ってとても大事だなって思います。
例えば、料理を作って鍋の中にあるのは「ごちそう」だけど、流しに洗い物として鍋を置いたら鍋に残っているものは洗うための「汚れ」です。
本当はその境目なんてないですよね。自分で食べ物と汚れ物の境を決めただけ。

自分のやっていることが無駄な努力と思うか、成功の為のプロセスと思うか、それは思い方次第。

踊ったり歌ったり笑ったり動的な瞑想もいいし、音楽や呼吸で自分の深い部分を探検して和解していくのも清められていいなと思う夜でした。

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