日記 7月3日


十三歳のときからほぼ一日もやめることなく続けてきたライフワークことツイッター徘徊ができなくなってしまった。やべー。マジやばいっす。
人の生活の覗き見を愛しているため、ツイッター以外のコンテンツにとことん向いておらず、ギリInstagramが限界。Misskeyは無理。Discordも無理。LINEは生活に必要なので使っているものの、ツイッターとLINEは別物なのでこれも無理。ギャー。

というわけで吉本ばななさんの「はーばーらいと」を読みました。ツイッターないとマジで本読む以外あんまりやることない。みんななにしてんの? Waveboxとかでなにしてるのか教えてほしい。コロナ禍初期みたいな絶望的な暇。いややることは無限にあるんだけど、ツイッターがなくなったからと言ってそこの時間に「やること」を割くことはできず、結局「増えた時間」なんだよな。一日五時間くらいツイッターをやっていたから五時間「なにかをしなくちゃいけない」時間が増えた、みたいな感覚ですね。この五時間を「やらなくちゃいけないこと」に回すことは……できぬ!
あと蚊に刺されて足がかゆい。こういうことをInstagramやLINEではできないからさー。やっぱツイッターなんすよね。

吉本ばななさんの「はーばーらいと」は、宗教二世の女の子がその共同体から抜け出すまでの話なんですけど、なんか光って感じで良かったです。吉本ばななさんって、「TSUGUMI」のつぐみもそうだけど、十代の少年少女が感じる、同年代の中でひとりだけ特別な女の子(あるいは男の子)に対する強い光(恋心とも友情ともつかない特別さ、唯一無二感)の表現が本当にうまくて感動する。私はそういうのが好きなのでめちゃ良かったよ~。似た系統でいうと最近「よっす、おまたせ、じゃあまたね。」という映画を見たんですけど、これも良かった。十代の少年少女が同年代の中でひとりだけ光り輝いてるみたいな子に対して感じる特別な気持ちが本当に好きなので。あと煙草を吸う稲葉友さんがセクシー。
「はーばーらいと」の後書きで吉本ばななさんが作中のとあるシーンについて「人が人を救う決定的な瞬間って、ああいうささやかなこと」という話をされていて、なんかわかるなぁと思った。私は「劇的ではない話」が好きなので。人が人を救うときって必ず魔法とか奇跡みたいなものじゃなくて、ただ「生きてるだけで人を救ってしまうような人」(「はーばーらいと」ではひばりが主人公の母親についてこう述べてる)と話したり、そばにいたりする中でゆるやかに、勝手に救われていったりするものだと思っていて、「はーばーらいと」や「よっす、おまたせ、じゃあまたね。」はそういう感じなのですごい良かったですね。
「よっす、おまたせ、じゃあまたね。」はロードムービーなんですけど、そこでも別に劇的なことが起こるわけじゃなくて。いや食い逃げしたり車パクられたりチャリパクったらヤンキーに見つかったりなんかいろいろ大変だし劇的ではあるんですけど、「決定的ななにか」みたいなものはなくて、ただ昔の友達と一緒にいろんな人と出会っていろんな場所へ行って、そういうひとつひとつの積み重なりが主人公の気持ちをたしかに前向きな方へ連れていってくれるのがめちゃくちゃ良かったんだよな〜。おすすめ!どこでやってんのか知らないけど!
あと「はーばーらいと」の話に戻るんですけど、「この人が傷つかないで欲しい、幸せでいてほしい」というただそれだけのひたむきな祈りみたいなものが恋とかで昇華されてなくて(もちろんそういう恋も美しいとは思うけど)よかった。私もそういう話が書きたいんだよな〜。ガンバ!(謎他人事)

ここまで書いてツイッターもう1回見てみたけどやっぱAPI制限だった😭おわりや😭😭助けてクレメンス〜‼️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?