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「可愛い」 と 「萌え」 について 模索編②

こんにちは、昨日書いたnoteを見返していたらあまりの文章のレベルの低さにちょっと悲しくなったぼくです。こういうのは書き続けるしか治す方法がないのは理解しているんですが、いやはや、なにか近道がないかと考えてしまうのは人間の性ってやつなんでしょうか。

さて、気を取り直して本題に入ろうと思うのですがここで1つ、問題があります。ぼくはいま心身ともに疲労困憊でとてもあんな長ったらしく無駄に抽象的な話は書けそうにないのです。

そこで今回はもっとぼくの実感にもとづいた、具体的でわかりやすい話をしたいと思います。ここ最近ぼくはあまりアニメというものを見れていません。単純に時間が無いとか体力がないとかの問題もありますがそれ以上に重大な問題があります。それは「萌えキャラに可愛さを感じられない」という感覚です。

これは決してアンチ2次元になったという事ではありません。勿論ぼくだってpixivなりTwitterなりで目にする例の2次元美少女を可愛いと思うことがないでもないです。

では何故、それらソーシャルネットワーキングサービスの1枚絵はよくて地上波深夜帯のアニメでは駄目なのか。この2つにはとても大きな差がおそらく2つほど存在しています。まず1つは当たり前といえば当たり前ですがバックグラウンドにあるストーリーの有無です。

物語は登場キャラクター、世界観、設定、展開などといった様々な要素が複雑に絡み合って成り立っています。勿論その要素の1つにでも矛盾が発生してしまえば物語全体に綻びが生じます。

ではアニメのキャラクターが可愛いと感じられないのはこの物語の矛盾による「歪み」のせいなのでしょうか。少なからずその可能性はありますが、しかし今回はあえて1度その可能性を棚上げにして次に進みたいと思います。もしこの流れでその話題にいくと結論は結局「なろう系の弊害」で終わってしまう予感が何となくするんですよね。それはあまりよい結論とは言い難い。そんなのは探せば幾らだって転がっていますしわざわざインターネットの片隅でする様なものでもないからです。

ではpixivやTwitterとアニメキャラのもう1つの違いは…

すみません、そろそろ限界です(体力的に)。ここからが本題なんですがちょっとぼくの体がこれ以上打つのを拒んでいます。という訳でそれではまた次回~。

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