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「可愛い」 と 「萌え」 について 模索編③

どうも、初いいねを貰えて少し嬉しい気持ちのぼくです。いやぁ承認欲求とは素晴らしものですね。これこそ人間の本懐だと改めて感じます

さて、そんなのは下世話な話は置いといて本題に戻りたいと思います。ぼくは前回、アニメキャラとSNS上のイラストを比べて後者にしか可愛らしさを感じれない、いわゆるこの連載のテーマでもある「萌え」られないという話をしました。そしてしかし、その理由を物語の劣化に求めるのは意味がないというか、有意義でないという所まで書いてぼくが力尽きたのでした。

では、今回はアニメキャラとイラストのもう一つの大きな違いについて触れたいと思います。それは何か。端的に言うと「容量」の違いです。

どういうことか。アニメキャラには二次元(向こうの世界)に限らず三次元(この世界)からの情報をも内包することで成り立っています。具体的に言い換えると二次元、向こう側の世界とは、そのキャラが存在しているとされる世界の設定、勇者であったりツインテール美少女であったりすることなどの基本ステータスに加え起こしたアクションや一つ一つのセリフ、感情、表情などのことです。

では三次元、こちら側の世界とは何か。これは大きく二つに分類できます。第一にメタ的な意味。これはそのキャラの行動やセリフを神の視点から捉えて分析することで特に問題ありません。そして第二に「三次元のキャラへの侵食」です。

これは簡単に言うと声優やイラストレーター、制作会社などの本来キャラ設定には関係ない物が、そのキャラを構成する重要な要素になっていることです。

表現する手段が多ければ多いほど作品は限定されたものになります。しかしそれはその〈限定〉の外側にある本来存在しなかった、ある種異物ともいえるものです。ただ現在の一般的なアニメオタク達の中ではこれがストーリーや作画と並ぶ重要な、そのアニメを見るか見ないか判断する基準(特に声優)にすらなりつつある。

ぼくが考えるに「アニメキャラに萌えられない」原因はここにある。こういった情報は端的に言ってしまえば「重い」のです。ストーリーに没頭したい、その瞬間の絵の動きに感動したいと思う人間には、別次元の文脈まで読んでアニメを見るのは少々キャパオーバーなのかも知れません(書いていて自分でもよく分からなくなってきました。いつか別の答えが見つかったらまた書くことにします)。

次回は逸れてしまった話を元に戻してまた「可愛い」と「萌え」について書いていきますのでそれではまた~。

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