母として『母の日』を過ごすスタンス

 息子たちは普段から「料理を作ってくれてありがとう」「お弁当を作ってくれてありがとう」など、「ありがとう」をよく言ってくれる。だから母の日にあらためて感謝の意を示してもらわなくても子どもたちの気持ちは伝わっている。伝わっているのだけれど、『母の日』が全く意識されないで終わってしまうのも寂しいので、自分から「明日は何の日でしょう?」「今日は何の日でしょうか!」とかと言ってしまう。

 理想は何も言わないで『母の日』っぽいことが起きれば嬉しいけれど(おこがましい)、そもそも『母の日=感謝する日』とされているので、「さあ、あたなは感謝される母でしょうか、そうじゃないでしょうか」と試されているようで居心地が悪い。バレンタインのチョコを待ってる男の子みたいだ(ちょっと違うけど)。いっそ母の日なんてなければ意識しなくて済むのにとも思う。

 ちなみに父の日は、我が家の場合、一週間前くらいに「もうすぐ父の日だよー」と私が子どもたちに声をかける。子どもが楽しめるように相談に乗りつつ、折り紙だったりビックリ箱だったり飛び出すカードだったり絵だったりお菓子だったり、私も手伝いつつ夫へのプレゼントの準備をする。「ここをがんばったんだよねー」と子どもと一緒に夫に話したりして私も楽しい。最近は父の日が近づいてくると、嬉々として「父さんの好きなお菓子をたくさん買ってサプライズしようよ!」「今年はなんの絵をプレゼントしようかな」と、私が関わらなくても息子たちが勝手にやるようになってきた。『父の日』は夫がアピールしなくても何もなく終わったりはしないのだ。

 一方母の日は、夫が「もうすぐ母の日だよ」とは言わないし(そもそも母の日を意識もしていないだろう)、うちの小学生男子たちは自分の誕生日とクリスマス以外の日は覚えていないだろうし、私が母の日アピールをしない限り何もなく終わってしまう。私が「母の日だよ」と言った場合は、息子たちが「何がほしい? チョコでいい?」「荷物もってあげるよ」と慌てて何かしてくれようとする。それはそれで可愛いし面白いし嬉しいなと思うけれど、自分から感謝を催促して間に合わせの『感謝の気持ち』をもらうこの流れに、情けないような恥ずかしいような寂しいような気持ちが少し心をよぎる。

 さて今年の母の日。「今日は母の日だよー」と私が言ったとき、子どもたちが「母さんありがとう」と言ってくれたのに乗っかって、夫も「母さんいつも家のことなどありがとう」と言ってきた。私は「あなたの母じゃないし」と否定したのだけれど、今思うと、息子たちの父としての『母の日』も、夫が言うところの家のことをやっている『妻の日的な母の日』も、子どもたちの「ありがとう」に乗っかって一言付け加えるだけで簡単に済ませられたことに腹が立ったのかもしれない。そもそも私が「母の日だよ」と言わなければそれもなかったわけだし。

 そっか。母の日のモヤモヤは夫への不満もあるからややこしいのだ。私だって夫みたいに息子たちからプレゼントされたい。夫みたいに息子たちに「ありがとう」って言いたい!

 ということで、今年はそんな思いをつらつらと(いやグチグチと)夫に話してみた。夫は「わかった!」、横でゲームをしながら聞いていた息子たちは「なんか母さんかわいそう」とのこと。情けない。感謝してくれることを前提に結局催促しているのだから面倒な話だ。

 そんな話をしたあと、買い物のときに息子がプレミアムモルツを買ってくれた(「なんかかってあげるよ!」と言われたので私が選んだ)。今は子どもがお酒を買うことはできないのでお小遣いを夫に渡して買ってもらっていた。私なんて、あらかじめビールを買っておいて「かあさんありがとう!」と言ってくれれば大喜びするのになあ。