カードゲームが全てだった

(誤って消してしまったため再投稿、2022/6/3の投稿です。)

 記憶にある中で初めて私に自己肯定感を与えてくれたのはカードゲームだった。

 小学生時代の近所の友達は野球少年だった。ゲームなどは買ってもらえず、ゲームが好きな友達と遊ぶことはできなかった。近所の友達は好きだったし、彼らも私によくしてくれた。だが野球は嫌いだった。運動音痴でただただ惨めな思いを重ねるだけの憂鬱な行為であった。面白いと思えず、うまくなりたいという情熱も湧いてこなかった。いつも雨が降って遊戯王カードで遊べることを願って眠り、朝起きて晴れた空を見てはうんざりしていた。

 ずっとカードゲームは好きだったが、はじめは特別な情熱があったというわけではない。苦手な体を動かす遊びでない遊びだから相対的に好きだっただけだったように記憶している。特に強いわけではなく、むしろ弱かった。
それが変わったのは四年生のときだった。クラスではバトル鉛筆、通称バトエンが流行っていた。授業をまじめに聞ける落ち着きのない私はそれまで授業中はひたすら落書きをしていた。しかしバトエンが流行ってからは最強のバトエンを計算することに夢中になった。はじめはバトエンの強さの指標としてダメージ期待値の計算をしていた。期待値なんて言葉は知らなかったがそれと同じ値を計算していた。そのうち期待値の優劣が必ずしも強さの優劣でないことに気付き、勝利ターン数の確率分布を計算するようになった。鉛筆の違う領域を参照する「変身」ギミックや、違う鉛筆を振るギミックの存在から状態遷移の概念に気付いた。バトエンは初めて出会った自分に合った学習ツールだった。

 そしてまたカードゲームをやる五年生。行動範囲が広がり、毎日のようにカードゲームで遊べるようになっていた。そして負けなくなっていた。褒められた話ではないが、特定のレアリティ以上のカードを賭けて対戦することが流行っていた。勝てないからと私とは誰も対戦してくれなくなったので、友達が1枚に対して私は10枚以上賭けるようになった。それでもカードは増えた。楽しかった。生まれて初めて友達と遊ぶのが待ち遠しくてたまらないという気持ちで過ごすようになった。友達が熱心に私の話を聞いてくれるのが嬉しくて仕方がなかった。運動が苦手で、落ち着いて授業を聞くこともできない私に、初めての自己肯定感を与えてくれたのはカードゲームだった。

 中学時代。運動部に入った。入りたくなかったが、仲の良い友達が皆運動部に入っていた。子供にとって、友達の輪は世界であり、仲間外れは死に勝る恐怖だった。運悪く選んだ部は最悪であった。顧問の教師が軽蔑に値する人間であった。教育指導として授業中に漫画を読んでいた学生の私物に火をつけた話を堂々とするような人間だった。私的な恨みを別にしても、もしまだ教師を続けているなら未来ある子供たちのために世界から消えてほしいと思っている。そんな教師の理不尽な指導がまかり通り、同調圧力で逃げ場を潰される地獄のような場所だった。そんな部活と不仲な家庭を行き来する日々が続く。心安らげる場所はどこにもなく、心身ともに摩耗し、無気力に死んでいるかのように生きていた。当然勉強なんか手につくはずもなく、普通科では下から数えてすぐの高校に進学することになった。

 高校時代。流石に懲りて運動部には入らなかったが、高校は話の合う友達ができずつまらなかった。入学難易度相応に授業と課題のレベルは低く、知的好奇心をそそられるようなことはほとんどなかった。ただただ時間を無駄にしに学校に行っていた。相変わらず授業を聞かないし勉強をしない私の成績はその中ですら悪かった。この頃家族仲がさらに悪化し、相変わらず心休まる場所はなかった。自分含めた世界の全てを呪っていた。理想どころか平凡からかけ離れた悪い学業成績と安らげない家庭を直視できる強さがなかった。カードゲームに没頭し現実逃避していた。カードゲームは楽しかったがそんな状態なので常に後ろめたさを感じていた。現実逃避を重ねて、精神を摩耗して、都合の悪いことから目を逸らしながら現実逃避のための拠り所を人に求めた。さて、その時の私はというと人間性は未熟にも関わらず、口を開けば怨嗟と悪口ばかりが出てくる、ありていに言ってクソ野郎だった。そのような人間が現実逃避をして作った人間関係の中で生きていた。なので、予定調和のように当時の友人たちと揉めて、居場所をなくした。

 現実に向き合うときが来たと思った。学力は底辺で、センター模試では現代文と数学の確率の問題以外はわからないので適当にマークしていた。友達もいない。唯一自信のあるものはカードゲームだけ。それまでの私の人生で肯定的な経験といえばカードゲームが全てだった。不幸中の幸いか、父と別居して祖父母の家で生活することになった。今まで逃げ続けてきた勉強をしようと決意した。今まで逃げてきたものへの清算をはじめよう。ここまで来てしまった以上、清算のための努力ができる環境に感謝して前向きになるしかない。大学を名古屋大学と東京大学しか知らなかったので、東京大学を目指すことにした。センター試験でわかる問題が確率の問題ぐらいしかなかった私が、東大を目指そうと思える自信の根拠は間違いなくカードゲームだった。自分はカードが強いんだから勉強だって本気になれば一番になれると自分に言い聞かせ奮い立たせた。

 結果。二浪して落ちた。東大一本で受けたかったが、母に頼むから他も受けてくれと言われて受けた大学に進学した。必要なセンター得点率は8割ちょっと、偏差値は60台とほぼ無の状態から二年の勉強で入ったにしては良かったのかもしれない。ここでは今でも仲良くさせてもらっている素晴らしい友人や先輩に出会うわけだが、入学時は運が悪かった。全寮制で、夜中大音量で音楽を流し話の通じない非常識な先輩や、他人の悪口を誇張して話し盛り上がるのが大好きな幼稚な先輩と同じフロアでった。憎かった。何よりそんな人たちと同じところに来てしまった自分が憎くて仕方がなかった。夜、隣の部屋から爆音で聞こえる音楽に頭を抱えながら自己嫌悪と劣等感に引き裂かれる思いをしていた。こんなところ出て行ってやる。そのためには努力するしかない。東大落ちのコンプレックスの克服のため東大よりいい大学院へ行こうと目標を立てた。日本にはないのでアメリカの大学院に行こうと思った。とにかくいいところへという私の目的は歪んでいた。そのような超一流大学の大学院は、いいところに行こうとして行くものではなく、先行してやりたいことがあって行くものだ。しかしそんなことは百も承知だった。劣等感に押しつぶされないように何か目標を作って必死になるしかなかった。海外の大学院は学部の成績も重視される。起きている間は食事やシャワーなど最低限のことをする以外はずっと勉強しているようにした。カードゲームをやっていたときに全てのリソースをカードゲームに注ぎ込んだように、全てのリソースを学業に注ごうとした。結果、学部三年生の時点で成績は専攻で一番目、学年で二番目になった。一番になって当然というつもりでやっていたのでそうなれなかったのがでないのが悔しくて仕方がなかった。だが、なにはともあれ成績順の研究室配属は自由に選ぶことができた。

 研究室に配属されてから。研究室メンバーは素晴らしかった。親切で優秀だった。その中で研究で結果を出し、自分もそうなれるようにと頑張ったがうまくいかなかった。そして、自分の今までの劣等感の克服のための努力がいかに矛盾していたか見せつけられることになる。それを決定づけるような印象に残っているエピソードがある。20時頃にコードを書いている先輩に挨拶をして帰り、次の日朝一番で登校したらその先輩がまだコードを書いていたことがある。飛びぬけて優秀な先輩であるが、世界の研究者を調べればもっと実績のある人が山ほどいる。自分は大学受験から努力を続けてきたつもりであった。しかし結果を出している人の努力はといえば、同じ努力とまとめてはいけないぐらい量も質も違った。その道で最前線を行く人と競うならば、努力というのを意識した時点で負けているのだと思った。最前線を行く人たちにとって、単にやりたいからやっているのだ。情熱や好奇心に突き動かされるように。寝る間を惜しむという言葉があるが、そのような人にとって単に眠気よりもやりたい気持ちが強いというだけのことだろう。自分がカードゲームをやっているときと同じだ。自分は東大を目指してから学業を頑張ろうと思い頑張ってきた。研究もその延長での努力を続けようとしていた。しかし、努力しようとして努力を続けたところで、それをやりたくて夢中でやっている人間に勝てるどころか差をつけ続けられる一方だと思った。自分が得意なカードゲームで特に好きでもないのに頑張って練習をしている人がいたとして、それに負けるわけがないと思うのと同じだ。劣等感の克服のために努力をしていた私は心からそれをやりたいと思って無我夢中でやっている人に追いつけるわけがない。何かを成したいと思うのであればまずそれをどうしてもやりたいと思ったり、熱中できたりするような目標が必要だと思った。

 だがすぐに新たな目標をというわけにはいかず、今までやってきた努力の方向がいかに間違っていたかに直面し自信を喪失していた。無力感と絶望感のなかぼーっと生きていた。前に進むには何かの自信が欲しかった。情熱も自信もなく何かを続けられる気が全くしなかった。何かを初めてもどうせ一週間ぐらいで絶望して投げ出してしまうだろう。せめて、一生懸命夢中でやれば何かで一番になれるという自信が欲しかった。そんなときに遊んでいたのが以前から先輩に薦められ軽くやっていたMTG Arenaだ。Mgic: the Gatheringが遊戯王の元にもなった世界初のカードゲームで、ゲームのプレイで収入を得ているプロプレイヤーが存在することも知っていた。そのオンライン版がMTG Arenaである。それで一番になれれば自信をまた持って生きることができるかもしれない。ゲーム内ランキングで一位を取ってみよう。

 そう思った後は一瞬であった。楽しくて仕方なくて一日起きてから眠くなるまでずっとやっていた。プレイ時間は一日16時間程度。一週間ほどで一位を取ることができた。自分はやればできるんだと少し自信を取り戻した。一方で、やりたいと思えることをやっているときと、嫌々やっているときの自分の集中力の差の大きさを実感した。勉強をしていたときは規則正しく朝早く起きて、コンディションを整えてから勉強して、疲れたら散歩をして気分転換。適度に休憩して集中力を保つ工夫をしていた。一方でカードゲームは起きたらすぐにアプリを起動し、食べることも忘れ10時間以上プレイしてようやくおなかが空いたから何か食べよう、と思うぐらいの調子だった。取り組みの量と質が共に段違いだ。自分は何かで成功したいのであれば、だめだったことや集中できないことはさっさとやめて、新しいやりたいと思えることや情熱を持てることを探しにいかなければならないと思った。

 まずはその時の研究内容に一生懸命になれていないという自覚があったため、それを変えようと思った。学部のときの専門は機械学習を用いた自然言語処理であった。これは機械翻訳を初め多くの応用で役に立っていてかつ、様々なチャレンジングな課題の残る分野である。しかし、自分が夢中になれることではなく、自分がこうあって欲しいと思う世界の実現には遠回りであると感じていた。強い意志もなく、無気力に周りに釣られるように学部と同じ研究室に進学していたが、中退し別の修士課程へと進学することに決めた。

 なんのためであれば情熱を持てるかを考えたとき、真っ先に環境問題に関する研究ができないかと思った。私は生態系への影響や環境負荷を理由に生活様式を変えてきている。「面倒な人」扱いされて話を聞いてもらえなくなると本末転倒であると考え、普段は不特定多数に積極的にアピールすることはしないが。例えば鰻は大好きだが、鰻が絶滅危惧種で完全養殖が未だ完成していないことを知った2016年から一度も鰻を食べていない。また、肉類、特に牛肉を食すことを意識して減らしており、2021, 22年は一度も牛肉を食べていない。CO2の排出源として食料の生産による排出の割合が高く特に肉からのエネルギー回収効率は悪いからだ。私には正確にわからないが、人類のCO2排出の全体に対し、家畜に関わるものが5.2%を占めるという調査も存在する。肉も鰻も大好物であるがそれを絶ったり、減らしたりすることができたのは自分が世界がこうなってほしいと思う熱意からだ。生活を変えることは苦しみを伴うが、それでもできているのは熱意があるからに他ならない。だからその熱意を研究分野で発揮する道を探りたいと思った。そこで農学科に学科変更することに決めた。余談であるが、なぜ就職のいい工学科を捨てるのかという友人には、「俺はくいっぱぐれてもプロカードゲーマーになれるから大丈夫だ」と言っていた。私は本気にも関わらず、皆冗談だと思っていたようだが、今なら信じてくれるだろうか。

 8月までは進学のための勉強。そして入学までは留学をしようという計画を立てた。受験に対しては不安で不安で気が気でなかった。学部受験で浪人し修士課程を中退。家に金があるわけではないが無理を言ってなんとかの受験である。失敗したら最後、と言えば言い過ぎであるが、失敗したときの進路変更は非常に大変なものとなるだろうと考えていたからだ。そして今まで高校、大学の学部と受験で成功した経験はなし。数学と英語は学部の間かなり勉強したので、過去問を見て簡単に合格できると思った。だが成功体験の欠如から心中穏やかでなかった。とはいえ無事合格した。

 合格がわかったのが8月。そして、四月まで留学という予定ではあったが、感染症対策により中止。進路は決まっているが義務はない半年を手にすることでMtGで世界に挑む機会を得る。ここからはプレイヤーとしての私を知っている人であれば知っているかもしれない話。いいことも悪いことも連鎖するものだと思う。進路への不安がなくなった私は趣味でやっていたMTGでもそこからとんとん拍子にうまくいった。年に4度あるチャンピオンシップの予選を二度目で優勝する。チャンピオンシップでTop8に入り、プロプレイヤー入りや世界選手権の出場権の懸かったガントレットへ出場し、Magic Pro Leagueという世界で24人のプロプレイヤーになり、世界選手権に出場した。せっかく進学には成功したが、両立は難しいと早々に気付き、休学してプロプレイヤーとしての生活を始める。

 結果としては、先日のチャンピオンシップで世界選手権の権利を獲得できず、それが最後のプロプレイヤーとして出場するイベントとなった。プロプレイヤーとしてゲームに打ち込み、小学生のときに見ていた夢のような一年だった。楽しかったしやってよかったと思う。

 自分にはカードゲームが全てだと思い生きてきたが、この数年カードゲームを通じてかけがえのない経験や人間関係を得られた。今まで接点のなかった年齢層や職種の人と知り合った。雑誌に記事を寄稿したり、オンラインサロンのゲストに呼ばれたり、イベントで解説をしたり、記事を英訳したり、イベントのために海外のプロプレイヤーと組んで国際チームを組織したり。他のことをしていれば関わっていなかったであろう魅力的な人たちとかかわることができたのはカードゲームをやっていたおかげだ。

 大学に入るまで、現実逃避の手段として後ろめたい気持ちを常に抱えながらカードゲームをやっていた。大学に入ってからはそれまでのことをなかったことにしたいと思いながら頑張ってきた。しかし、そんな自分の最後の拠り所となり自信を与えてくれたのはカードゲームだった。

 今が6月、もう数か月で夏休み明けに休学期間が終わるので復学しようと考えている。正直、まだそこで熱中できることに出会えるかはわからない。また熱中できることを探す旅に戻る。プロプレイヤーをやるまでは、自分の得意なことを捨ててやりがいを感じられることのために努力をしようとしてきた。しかし今は、自分の得意なことをやりがいを感じられることに繋げられるよう工夫していきたいと思っている。

 あの日、カードゲームしか自分にはないと思っていた。今、それだけではないと自信を持って言えるのはカードゲームを通じて得てきたもののおかげだ。

おもろいこと書くやんけ、ちょっと金投げたるわというあなたの気持ちが最大の報酬 今日という日に彩りをくれてありがとう