掌編 「私のはだし」

 人に舐められるのと、犬に舐められるのは違う。犬の舌はどれだけ温く、ざらざらとしていても、あくまで健全で、そこに親愛以上のものが入り込む余地はない。却って、その健康さにエロスを感じる人がいても、エロスを受け取るのは、犬のはつらつさから来る、その健やかさなのだから、やっぱり犬の舌は家庭的な温かさだ。
 同棲して、もう三年になる彼は、私が靴下を履くのを嫌がる。外へ出かける時は勿論、家にいる時でさえも、彼は私のはだしに執着する。夏はともかく、冬の時期になると暖房を点けていても、フローリングの床は冷たいし、ただでさえ冷え性の私は、足先から来る冷えで体調を崩してしまう。
 それに、私は私の足が嫌いだ。平らで色気の少ない足の甲、少しでも日を浴びると黒くなる私の肌と違い、日中、ソックスの影に隠れている足は、どこか不釣り合いなほどの白くて、お風呂上りにもうっとりするほどの白さを保っている爪先を、私は指でぴんと弾く。
 それでも、好きな所はあって、足の甲の薄い皮と形の良い爪は、自分なりに気に入っている。ペディキュアは、彼がすぐに口に含んでしまうから、この頃は付けなくなった。いくら上手く塗れても、不機嫌な彼が歯を立てる。まるで犬か何かだ。
 けれど、私が欠かさず、足の手入れをするのは、彼のためだと思う。付き合う前は、自分の爪先を見て、溜め息を吐くことなんてなかった。順調に毒されてるな、と思う反面、それが一緒に暮らすということなのかなと感じる。
 私が自分の足を気にするようになったのと同じように、以前には見向きもしなかったコーヒーを、随分おいしそうに飲むようになった。少しずつ溶け合っていく私と彼の境界が、怖くもあり、うれしくもあった。
 ある日、二人で行った砂浜で、私はわざとはだしになって、波打ち際に立っていた。彼は私が脱ぎ捨てた靴を拾い上げながら、私の後を付いてくる。私はたっぷりと余裕を持ってステップを踏み、そして、黒く塗れた砂の上へ足を置く。
 寄せた波が、私のくるぶしまでを侵して、歩き通しだった足を冷やした。波の音が止まり、引いていく瞬間に、私は爪先へ力を入れ、ぎゅっと砂を掴んだ。
 波は砂をさらっていく。
 彼の仕方に似ているな、と思ったのは内緒だ。

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