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掌編 「あなたの物語」

 その本は、ぼくが二番目に読んだ絵本でした。それは、朝焼けの空をことことと煮詰めたような、きれいな表紙の絵本でした。ぼくはその絵本が大好きで、絵本の端が、よれよれになって、擦り切れるまで、何度も何度も、読み返したものです。
 だけど、その絵本には終わりがありませんでした。絵本の最期の頁《ページ》は、誰かに破り取られていたのです。
 誰がこんなことをしたのだろう、と初めは思いました。けれど、今はそういうことを思うことは少なくなりました。今のぼくは、前にも増して、絵本のエンディングに何が描かれていたのか、ということばかりを考えます。
 大人になったぼくは、物語が、めでたしめでたし、で終わった後も、彼らの人生が続いていくことを知っているからです。
 だから、ぼくはいろいろな人に尋ねてみることにしました。この絵本の物語の続きを、誰か知っていませんか、と。
 けれど、そのうちに、ぼくは色々な物語の続きを聞くのが好きになっていきました。だから、ぼくはこの話を色々な人に話します。
 もしよかったら、あなたの物語の続きを聞かせてもらえませんか?
 たしか、絵本は、ちょうどこんな始まりだったはずです。

 海に囲まれた大陸の真ん中、山のそびえる大平原のその中心、くもの巣のような複雑な街道のたった一つの結び目に、おおきな王宮がありました。
 王宮には、王様と王女様、そして姫さまが住んでいました。姫たちの周りには、身の回りの世話をするメイドや執事がいて、彼らの安全を守るため、騎士たちがいつも王宮の見回りをしています。
 彼らはみんな、満ち足りた気持ちで生活していました。王様は賢く、王女様は美しく、姫さまは元気いっぱい。誰もが何一つ不自由することなく、暮らしていたのです。
 ですが、一つ、王宮で暮らす人々の間で、小さくわだかまっていることがありました。
 それは、王宮の地下へと続く階段の、その先にある扉のことでした。その扉は、王宮ができた昔より、さらに古くそこにあり、その錠前を固く閉ざしてました。
 決して開くことない扉を前にして、王宮のみんなは、心のどこかで扉が開くのを期待して、けれど、扉が開くはずなどない、と諦めきっていました。
 ……ただ一人、姫さまを除いては。
 姫さまは、事あるごとに扉の前へ行き、錠前にそっと手を伸ばします。今日こそは扉を開けてみせる、と強い決意を胸に秘め――。
 さあ、彼女の指が錠前に触れる、という瞬間、なぜか不思議と邪魔が入ります。姫さまの教育係が通りすがり、姫、授業の時間ですよ、と声をかけ、またある時は、騎士長がやってきて、姫さま、これから武術の稽古の見学へ来てください。今日は年に一度の腕試しの日なのです、と姫の腕を取り、中庭へと連れ出してしまいます。姫さまは唇をとがらせて、騎士長が大の大人をぽんぽんと投げる様を、退屈そうに見ていました。
 彼女の頭の中は、ずっと扉のことでいっぱいです。あの向こうには何があるのだろう。きっと私の知らない何かがあるはずなのだわ、と期待に胸を躍らせて、今日も扉の前に立ちます。
 その日、姫さまの指が錠前に触れる直前、声がしました。
「そこに誰かいるの?」
 声は、扉の向こう側から聞こえました。声変わりのまだ来ていない、幼い声でした。
 姫さまは自分の身分を隠し、名を名乗ります。扉の向こうは、はっと驚いた気配のした後、しーんと静まり返りました。
「ねえ、教えて。扉の向こうはどうなっているの?」
 姫さまは問いかけました。けれど、答えは返ってきません。沈黙が辺りを満たします。
「ねえ……!」
 姫さまの指が、錠前に触れた瞬間、扉はきぃ、と音を立てて、開きました。扉の隙間からはまばゆい光が漏れています。
 姫さまは、そっと扉を押し開けます。漏れる光は段々と強くなっていき、そして……。

 そこで、頁《ページ》は途切れていました。
 扉の先には、どんな景色が見えたのでしょうか、姫さまはそこで何を見たのでしょう? それに、声の主は誰なのでしょうか? 王宮の地下にはどんな秘密が?
 あるいは、全ては姫さまの夢だったのかもしれません。扉の向こうは、怪物のすみかで、姫さまは食べられてしまったとか……
 でも、それは誰にも分かりません。
 だから、あなたの物語を、どうか聞かせてください。

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