日記 3月24日

 日常の謎。ツイッターのTLで探偵と助手カップリングが盛り上がっており、今日は家にあるミステリ系の本を集めて、ちょっと読み直したりしていた。見つかった本は置いておくとしても、売ってしまった記憶のある「午前零時のサンドリオン」(最近、相沢沙呼さんが作者だと知って驚いた)とか「ジョーカーゲーム」シリーズがないことにショックを受ける。売った記憶があるのになくなっていてショックとは、はなはだ矛盾しているけれど、売却したことと、家にその本がないということが実感に結びつかないので、無限に家探しをしてしまう。なぜだか探せば見つかりそうな気がするんだよなあ。

 相沢沙呼さんといえば、一月くらい前にブックオフで「小説の神様」を買った。面白く読ませてもらって満足していたところ、ツイッターで「小説の神様」のアンソロジーが出ていることを、斜線堂有紀さんのエッセイ(しかも、アイマス関係のフォロワーさんの紹介)で知って、ちょっとうれしくなった。さらにその日、別件で書店に行ったところ、そのアンソロジーが棚置きしてあり、運命を感じて、購入した。田舎住みで書店の品揃えが貧弱なので、ツイッターで話題の本が置いてあるとすぐに運命を感じてしまう。書店出会い厨である。

 短編集やアンソロジーは先頭から順に読んでいくのが好きだった。最近は気になる作品とか、作家さんのものをつまみ食いすることが多くなり、積んでいるうちにどれを読んだのか分からなくなり、読み返すうちにこれ読んだことあるな、と思い出すことが多い。読んだことあるけれど内容を思い出せないという本は、それよりも多く、ミステリなどはトリック自体を忘れている。かといって、記憶をなくして再読できるほどの完璧さを持ち得ないので、中途半端に読み返して、ふたたび積まれる。
 それに付随して、自分はネタバレをさほど気にしない。SNSをやっていると自然とネタバレに触れてしまうことも少なくないし、感想に触れて、舞い上がっている空気感を楽しんだりもする。一方で、最近はネタバレをしない方がやっぱり初見は楽しいな、とも思う。ネタバレありきで作品を見ると、触れた感想に引っ張られて、作品鑑賞がそれらを確認しに行く作業になってしまう。自分なりの意見を持ちたいのなら、やっぱりネタバレなしで見るのがいいのだろうなあ。

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