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掌編 「嫌い・嫌い・嫌い」

 ぼくが兵役に就いていた時、小銃の暴発で鼻を失くした女を見た。その時、彼女はぼくの右隣にいて、普段とは違う、耳慣れない爆発音を聞いた。何をするのにも鈍く、さえない容姿だったので、周りは当然、彼女が問題を起こしたと思った。
 兵隊の訓練といっても、血を見るのに慣れていないぼくらは、女の顔から血が噴き出すのを見て、ひどくうろたえてしまい、むしろ、暴発に巻き込まれた彼女の方が冷静だった。
 彼女は自分の顔を一通り、手で確かめると、ぼくの方を振り向いて、こう言った。

「鼻がない」

 言われるまで、気付かなかった。何しろ彼女の顔は血塗れで、そして、何より、ぼくの方へは背中を向けていたのだから。
 ぺたぺたぺた、と彼女は自分の顔を手で突いて、何度も、目や鼻や耳の所在を確認していた。
 確かめれば、確かめる程、女の挙動がおかしくなる。
 鼻梁のあった穴は血の泡を噴き出し、ああ、ああ、と声を漏らす口からは唾液の混じった血を垂れ流す。
「鼻、鼻がない」
 さっきまで、きちんとしていた発音が不安定になり、はな、という言葉が、ふぁなになる。

「ない、ない!」
 半狂乱になって、彼女はぼくを押し倒した。彼女の血は、ぼくの胸元へ降りかかって、しみになった。
「殺して!」
 あの時、彼女は確かにそう言った。
「殺してよ!」
 ようやく目と目が合って、ぼくは理解した。彼女は正気だった。
 騒ぎを聞きつけてやってきた教官に、彼女は連れられて行った。両脇を抱えられながら、何度も「ころひて!」「こりょひて!」と叫び、それ以来、彼女の姿を見ていない。

 訓練を途中で終え、特別に許可されたシャワーで、ぼくは彼女の血を洗い流した。髪の毛の間に染みこんだ血は、いくら洗っても落ちないような気がして、ぼくはむきになって、掻き毟るように頭を洗った。
 その時、何かが音を立てて落ち、ようやくシャワーの色が赤くなくなった。
 排水口には、彼女の鼻が引っかかっていた。

 夜になって、話題は彼女のことで持ち切りになった。醜く、愚鈍な彼女をよく言う人間などいなかった。
「国から金がもらえるだろう。その金であの鼻よりいいものを買えばいい」
 そこに含まれた意味は、ぼくを不快にした。けれど、彼女にはそれ以外の道がないようにも思えた。
 その二つは全く矛盾しなかった。

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