道を舗装する

 この三週間くらい、将棋ウォーズの勝率が五割ほどで固定されて、毎日一勝二敗・二勝一敗を繰り返しているので、手元にある詰将棋の本を寝る前に一問ずつ解き始めた(昨日から)。

 読んでいる本、羽生さん監修で、終盤の魔術師森けい二さん著というなかなか難解な本で、これで挑戦するのも五回目くらい。しかもこの本、高校時代の将棋部の部室から借りパクしてきてしまったもので、多分十年くらいの付き合いになる。
 で、この本の難しいところなのだけれど、まず詰みの問題に何手詰めかが書かれていない実戦形式となっている。そのうえ、手数も一桁ではなくて、だいたい平均で十五手ぐらい。変化もひどいと三種類くらいあって、しかも紙面が小さいので(一頁二問)、気になる変化の正解が書かれていなかったりする。以前、解いていた頃は、将棋盤を用意して、全手順を埋めるように解いていた気がする。
 で、で、さらにこの本のすごいところは、必死問題がついているところ。ただこれも普通の「創作必死問題」とは違って、実戦形式なのでルールが厳密ではない。これはまあ難しさとは違って、その手筋が本番にすぐに応用できる利点でもあると思う(実は必死問題に挑戦するのは、今回が初めて)。

 最近の負ける要素として、序盤にトチる・中盤でリードしたのに寄せきれない、の二種類が多くて、序盤は定跡を勉強する気がないからもう仕方ないとして、リードしたのに負けるのは本当に悔しいので、なにくそ、と奮闘することに決めました。

 負けるで思い出したけれど、敵と思っている人(本当は敵なんていない。自分が勝手にそう思っているだけ)の活動が今日、目に入って、朝から嫌な気持ちになった。道を善意で舗装しようとしているように思える。
 まあ、それは価値観なので、自分にどうこうできるものじゃない。
 そうじゃなくて、自分が嫌いだと思っている人の方が、自分よりよっぽど真剣に生きているんだな、ということを実感して、落ち込んでしまった。マーケットを形成して、それが売れている。作品発表の場を自分で作り上げて、コミュニティを作り、周囲の人間にも認められている。
 一方で自分はというと、賞レースにかすりもせず、友達もおらず、参加できるコミュニティもない。別に、比較してみじめな気分になっているわけじゃない。相手はこうで、自分はこう、じゃあどうするの?って問いかけたとき、何も思い浮かばなかった。
 世界を変えたいとは思わないし、フィクションに何かできるとも思ってない。小説を書くのが楽しければいいし、それがちょっとお金になったらもっとうれしい。それぐらいの気持ちしかない。だから負ける。
 あの人たちの舗装しようとしている道は間違っている、と自分は思う。だから、間違っていると言いたい。言論で、小説で。
 でも、言えないんだなあ、これが。
 憎しみをエネルギーに変えられるような人間じゃなくて。

 よかったような、わるかったような。そんな一日。

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