日記 3月31日

 今日で三月が終わってしまう。あれほど楽しみにしていた有給休暇も、三日ほどで手持無沙汰になってしまい、今日にいたった。人生はままならないものだなあという感を改めて強くした。ちなみに転職活動はまったく手を付けていない。最悪、知人が紹介してくれている職にありつけばいいという楽観がある。

 「プレーンソング」を読み終わった。後半になるにつれて、読みやすくなって、というより自分が順応していって、最後の犬と散歩している人の話がすーっと染みるように伝わってきたのは、いわゆる小説の到達点というものなのだろう。原稿用紙何百枚という言葉・文章の一塊が何を伝えるかというと、そういうもの、としか言いようのないものだったりする。明日は図書館に行って、他の作品を借りてみようと思うけれど、読むのに二週間では短すぎる気もするのだ。

 そういえば、この日記ではなるべく時事ネタに触れないようにしている(日記に限らず、自分が発信する類いのインターネットではそう)。まず第一に触れてどうするという気持ちがある。次に、言及すること自体の危険性みたいなことを考える。言葉というのは使っているうちに、言葉の方がリードしていくことが多々あり、小説を書くときはその力を最大限発揮できるようにするのだけれど、何かを評論するような場合は、それを駆使しながら、極力抑えるような方向で行く必要がある。というのも、それが本当に自分が思っていたことなのか、言葉に書かされたものなのかが分からなくなるからだ。ぼくは文章はもっぱら残しておくために書くことが多いので、必然、読み返すこともある。となると、自分自身の欲望というものをよく理解しておく必要があり、書かされた言葉に自分が書き換えられるのは、なるべく避けたい。そんな理由で時事ネタには触れないようにしている。藤原定家ではないけれど、そんな気分でいる方が大事なのではないか、と思う。

 余談だけれど、巷で話題のスペースをやりたいと思うことがある(話題ではない)(流行としては十周くらい遅い)。ただ雑談は世界で一番目くらいに苦手なことだし、開いたスペースでひたすら黙りこくっている自分を容易に想像できるので、たぶんやらない。

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