BFC2 感想 Eグループ

「いろんなて」  大田陵史
 筋立てはホラー。ラジオから流れるリスナーの葉書という構造も、またホラーチック。けれど、一向に怖がらせる気のない手の描写を、どう感じたらいいのか、と考えていると、最後には世界一有名なテーマパークのマスコットの手がにょきっと伸びて、侮蔑のサインとしてはあまりに有名すぎて、もはやネタにしかなり得ない、中指を立てるポーズを此方へ向ける。
 そして、ホラーはホラーでも、それは既に終わった話なのだ、と気付く。テーマパークとして立地にも時勢にも恵まれなかった「ふわふわヨンシーパーク」は、四本指の白い手に呪われていたのだと。

「地球最後の日にだって僕らは謎を解いている」 東風
 犯人を指名した瞬間に重力から解放される描写について、何か語りたいのだけれど、それが上手くできるか分からない。
 探偵は、現場に縛られている。死体・容疑者・証拠・痕跡、可能性の枝を見るのではなく、可能性の枝を刈り込んでいき、論理によって説明できる結末を導く。
 今作の事件は、探偵の存在によって、引き起こされた事件である。人間関係は重力の発生する磁場に例えられることもある。この二点が導く、無重力の世界が、自分はとても好きだ。

「地層」  白川小六
 空間には時間が折りたたまれている。ぼくがそう感じるのは、幼い頃にNHKでやっていた「電脳コイル」を見た影響だと、勝手に信じている。「電脳コイル」にあるAR空間に残された、忘れられた土地は「古い空間」といって、作品の中でも重要な役割を果たす。
 残された空間は時間を越える。現実に化石はそうして発見されるし、遺跡もまたその通りだ。本作において、そのように残される「地層」のアイデアを軸に、大規模災害が日常になった世界を描く(あるいは、逆か?)。
 そこでは一月以上も降り続いた雨も悲愴ではない。現時点から眺める未来は、今を否定するものとしてあるから不穏であり、恐怖を誘うものでもある。けれど、それが現在となれば、そこに生きるのはやはり人間であるから、哀楽があれば、喜怒もある。

「ヨーソロー」  猫森夏希
 円環(ループ)という物語は、日本の戦後エンタメ界では、ゲームのリプレイに端を発するという考えが主流ではないかと思う。しかし、BFC2にあるループの物語を見るに、これはもっと広く、古くからあるものではないか、という疑問が、頭の中を巡る。
 さて、それはともかくとして、今作のループは少し、異様に見える。例えば「液体金属の背景 Chapter1」「叫び声」のループは、初めに戻る構造をしているが、「ヨーソロー」では舟を漕ぎ出していくはじまりには、戻らない。それよりも、湖の瘤、藤色の絹帯、ヨーソローの声の順番を見るに、まるで巻き戻し(逆回し)ではないか。
 それにしても、海面を指し示す二次元上の言葉である「ヨーソロー」を聞いて、湖面へ浮上していくという三次元の動きは、いかにも予想外で面白い。

「虹のむこうに」  谷脇栗太
 広義の言語SFであるのかな、と思った。言語SFには(というより何事においても)明るくはないのだけれど、とにかく骨子となるのは、異なる言語(と言語感覚)の習得によって世界認識が変容する、という点だろう。
 今作では、それは「イヌ」と「ナヌ」に集約される。その上、「イヌ」が指示するのは我々の世界における「犬」であることが、話をややこしくする(しかも、猿と去る・犬と去ぬ、までが言葉遊びとして仕組まれているではないか)。
 「イヌ」のいない世界で「イヌ(犬)」を知覚すること。それは不可能ではない、と残念ながらぼくたちは知っている。ポケモンの例を出すまでもなく、人類の想像力は虹を越える。
 死者への追憶・犬とイヌ、など言葉遊び以上に複雑に積層した多層の物語世界をときほぐすのは、面白かった。

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