日記 2月9日

 箱根湯本のハイカラ中華日清亭で今日はお昼を食べた。
 頼んだのは一番定食でラーメン。昔ながらの中華そばといった風情のだしでとても素朴な味わいが落ち着いた雰囲気を醸している。店の売りの手打ち麺もコシがしっかりしており、不揃いのちぢれ麺の食感が心地いい。それにあわせてか、メンマが細切りになっており、麺の味わいを邪魔しない丁寧なつくりにほっこりとした。チャーシューもしっとりとしていて、煮豚のような艶っぽい食感でかなりイケる。とてもよかった。

 兄の勤め先に元板前の方がおり、料理に対してよく「口にあたる」というらしい。たとえば細巻きを作った時、中に入れたキュウリのサイズが大きすぎると「口にあたる」から、もっと細かく均一に刻んでから巻いてみろ、とのこと。包丁さばきが悪いと、もっと上手く刻め、ともいうらしい。「口にあたる」と食べにくく、不味くなるのだという。
 さて、ここで言いたいのは「口にあたる」とはどういうことだろう、ということだ。
 よく料理番組や食レポ番組を見ていると、異なる食材で食感のアクセントをとか、外はサクサク中はふわふわ、とかいう言葉を耳にする。たしかに食感が変わると食べていて楽しいのは事実だ。外サク中ふわなどの例は、鯛のソテーなどを想像してもらえば分かりやすいと思うが、皮目をパリッと焼き上げつつ、白身をふわっとやわらかく仕上げてあるものは、それぞれが独立して美味しいのではなくて、口の中に同時に入ってきて、調和して美味しく感じると思う。皮目が先に歯にあたり、サクッという音の余韻に追いつくように、白身がほぐれていく。

 恐らく、これこそが「口にあたる」の本当の意味ではないかと思う。二つの食感の強さの違い。これに注目したのが「口にあたる」なのだ。
 もう少し詳しく書いてみよう。
 鯛のソテーでメインとなるのはやはり白身の部分であるわけだけれど(焼き鮭がそうであるように皮こそ美味だという意見もあるが)、それを際立たせるためにはどうすればいいのか。ここではやはり白身のやわらかさに注目したいのだから、皮目は白身より食感が強く(固く)なければいけない。これは、皮目がべたっとなってしまった場合を思い返してもらえば分かる通り、皮のゼラチン質な食感ではせっかくの白身のやわらかさがぼやけてしまう。

 ここでさらに冒頭の日清亭のラーメンの話に戻ろう。
 手打ち麺を引き立てるために、日清亭ではメンマを麺と同程度の細さに細切りにしてある。これは通常のメンマでは食感が強すぎるためだと思われる。あくまで食感のピークは手打ち麺のコシでなければならない。それを上回る食感の食材を置いてしまうと、それは「口にあたる」のだろう。
 これは味の濃さに置き換えても、説明できると思う。味の薄い(弱い)ものから濃い(強い)ものへ慣らしていくことは容易でも、濃いものから薄いものは難しい。
 食感も同様だ。弱いものから強いものへ。メインの食材をあくまでメインにとどめておくためのコントロールの技術として「口にあたる」という話があるのだろう、というのが今回の発見だった。
 余談だが、鯛の皮・鮭の皮の方が美味しいという意見が出るのは、身のやわらかさ(弱さ)を際立たせるための皮目の焼き具合であるから、強さに惹かれるのも無理のない話なのだろうと思う。

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