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言の葉に祈りをこめて

 新年あけましておめでとうございます。
 
 去年の1月5日にブログを始め、3月22日を最後に更新を途絶えさせてしまっていたのですが、再び始動しようかと思います。(果たして、この心意気がいつまで続くか……)

 年始早々、つらい出来事ばかりで気が滅入りそうになります。
 今回の大地震で被災された方々には一日でも早く安心して過ごせる日が来るよう、心から祈っております。


 さて、ここから私の初詣に行った話をつれづれなるままに書きたいと思います。

 初詣にて、事任八幡宮に行って参りました。
 何をお願いしたかはナイショです。

 ところで、
 「事任八幡宮」これ何と読むと思いますか?
 
 答えは、「ことのままはちまんぐう」。
 静岡県掛川市にある神社です。

撮影地:静岡県掛川市八坂

 参拝者でいっぱいでした。

撮影地:静岡県掛川市八坂

 御神木の「大杉」です。
 高さ三十六メートルもあるそうです。
 天まで貫かんばかりに聳え立つその荘厳な姿には圧倒させられました。
 
 自然の姿にはいつも圧倒されます。
 そして、自然の前には人間は無力なんだということも実感させられます。

 この事任八幡宮ですが、『枕草子』『十六夜日記』『東関紀行』『岡部日記』など多くの古典作品にも登場しています。
 
 国学者として有名な賀茂真淵の『岡部日記』の一節を引用します。

「下れば新坂の宿也。すくのはてなる社を今の世には八幡の社なりといふ。こは延喜式に佐夜群己等乃麻知神社とあるべし。はやく文徳の御時、従五位下の神位になし給へるには任事社(ことのままのやしろ)としるされたり。清少納言が記にも〈ことのままの明神いとたのもし。さのみききけんとうあいはれんと思ふぞいとをかしき〉とかきたるにむかへ見ればことのまちとあるぞおぼつかなき。さて鴨長明も〈さやの中山のくちにあるなることのままの社〉をかければ其比まではうたがひなかりけむ。」

賀茂真淵『岡部日記』(「事任八幡宮の参詣のしおり」より)


 「遠江国一の宮」という異名をもつ事任八幡宮。
 鎌倉時代からそのように呼ばれていたそうで、多くの人々から崇拝されていたことがわかります。
 
 また、古くは「己等乃麻智(ことのまち)神社」と尊称され、主祭神は「己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)」です。この神様は言霊の神・興台産命(こことむすびのみこと)の后神で、言の葉で事を取り結ぶ働きをもたれる神様です。

 そのため、事任八幡宮は「願いごとが叶う有難い神社」として名が知られています。

 私は別にいい人ぶるつもりは毛頭ないのですが、もしもう一度、言霊の神
様に願うことができるのならば、こう願うつもりです。


 みんなが平穏に暮らせますように。


 これに尽きると思います。
 日常がどれだけ有難いことなのか、再確認した今であるからこそ、私はそのように願うのです。
 大きな望みは要らない。
 ただ「ふつうに」暮らせること。
 それが人々にとって一番の幸せなことなんだと思います。

 言の葉に祈りをこめて、

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