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宗教とはホンに厄介なもの⁉️勝手持論炸💣🥺💘土壺に塡まりそう😱…

宗教と名の付くものには決まって開祖なるものが存在する。 

様々な宗教にはそれぞれに起源があり、そもそも神と呼ばれるものが信仰の対象である。 

釈迦が悟りを開いた仏教は後に弟子たちに広められた教えであり、それは今から2500年前が起源。様々な経典があり、形あるものの崇拝。 

ユダヤ教は唯一神ヤハウェを祀りアブラハムの子孫であるユダヤ人に伝えられたヘブライ語の聖書(旧約聖書メイン)を代々受け継いだ宗教。 

それに対しキリスト教はイエス没後のユダヤ教とは一線を画したもの。
旧約聖書+新約聖書を経典とした宗教。 

以下wikipediaより参照 

キリスト教はイエスの死後に起こったイエスの弟子たちの運動(初期キリスト教運動)キリスト教の直接的な起源である。キリスト教の教義はユダヤ教の律法を基礎としたイエスや使徒の言行から発展した。 理論的発展を基礎付けたのはパウロ書簡およびヨハネによる福音書である。 

イスラム教☪️に至っては起源は西暦起元7世紀に中東で起こった、預言者ムハンマドの教えに基づく一神教である。 イスラームという言葉はもともと「降伏」「服従」を意味し、アッラーフの意志への服従を意味する。【wikipediaより】 

この他にも様々な宗教は存在するがまずはこの4大宗教とは人びとに生きる道の指針になり、その教祖が教える神を崇拝し崇めるもの。 

元々それらが発祥した時代というものは、現代のように人々に知識や教養があった訳でもなく混沌とした食べるだけでまた生きていることが精一杯な過酷だった時代に人を救う道しるべとなった。 

艱難辛苦に喘ぐ人にとっての道しるべがいつしか時の権力者にそもそもの純粋な思想・信仰が歪められ利用されてきた。 

それは特にキリスト教やイスラム教においては甚だしい程に歪められ、勝手な解釈、もしくは書き換えられた。 

元々聖書、キリスト教の聖書の中にも輪廻転生が書かれていたのにも関わらず、絶対君主にあっては、自分に従わすためには生まれ変わるというその理念思想は受け入れがたく、西暦325年にコンスタンティヌス1世召集による開かれた第1ニカイア公会議で都合の悪いものはみな削除や書き換えが行われた。 

その会議はその後の450年間の間に全部で7回行われ現在のキリスト教の教えである聖書の基礎になった。 

要は完全に聖書の改ざんがその時点で完了?し現在に至った訳だ。(その後の改ざんはあったかも分からないが、バチカンには書き換えられる前の聖書が存在するらしく、それをカソリックの信徒がみたら気絶する程の内容のようだ/都市伝説より) 

その教義は生まれ変わりのない一度きりの人生が終わると人は死後天国と地獄かのいずれかに行き、そのどちらにも行けない人間はその中間の煉獄れんごくに行くという。 

煉獄ではなぜ自分がそこにいるか分からず、かなり長い間そこに留まり、何百万の人がただ列をなしているという。 

ある日、自分が気づき目覚めた時に、その瞬間に天国へと上るというのだ。 

話が脱線したが宗教はどちらかというと形あるもの、つもりは偶像崇拝である。 

キリスト教にあってはイエスや聖母マリア像や聖人たちの画像をも是認し、画像=本来の姿である原像を崇める。 

イスラム教にあっては偶像崇拝ではないがコーランである聖典があり、唯一無二の神からの啓示を受けたムハンマドがムスリム(イスラム教徒)の生活を、心的・物的両面において規定したものである。 

イスラム教においても肯定も否定もしないが戒律が厳しく今から1300年前にできた。いくら神の啓示とはいえ、その当時の時代に合わせた戒律を今現代にそのまま通用させることには無理がないだろうか⁉️ 

宗教は肯定も否定もしない。信じる者は救われるという理念からすれば、信心は自由であり、それが心の拠り所であるならば、それでいいと思う。 

ただ疑問に思うことは宗教なるものは本当にその教えが素晴らしいなら、自然とそこに人が集まるものであり、集めるものではない。 

また押し付けるものでもないと思う。 

何を信じようとそれはそれを信じる人の自由であり強制されるべきものではないと思う。 

これはあくまでわたしの持論だが、教えというものは残らない。 

では何が残るのか⁉️ 

それは教えではなく真理だけがこの宇宙の普遍的なもの。 

ただ一言。神は共存共栄、愛と慈悲。 

姿形あるものではなく、また特別なものでもなく、自身が真に願えばいつでも寄り添う存在だと思うし、我々と同じ心=意識(体)であり、愛という気に満ちた存在と考える。 

愛とは曖昧模糊で漠然としたものだが、確かに意識の中には存在するもの。 

目にみえる形では表せないが確かに存在するもの。 

その神の意思である愛だけはいくら世の中が変わっても不変であり、それはこの宇宙に漲る「気」そのものであると思う。 

結論を申せば、宗教とは教えであり、その教えは時代と共に変わるものであり、変わらない真理だけは残っていくものだが人が問う教えは残らない。 

ある意味、この世の中の対立を生んでいるのは人種差別や宗教間の対立が目立つ。 

宗教とは人を分かつものではなく、その教えで導くものがちょっとした思想の違いが対立を生んでいる。 

今はキリスト圏とイスラム圏の対立が激化し、それで徳をする人間と儲かる人間の野望で我々は振り回されていると思う。 

日本にあっては日本独特の宗教という教えではなく神道がある。  

これは教えではなく神への道。 

形ある偶像崇拝ではなく、自然を敬い、いかされていることへの感謝、かんながらの道。 

すなわち、神代から伝わってきて、神の御心のままで人為の加わらないまことの道。【コトバンク参照】 

それが神道しんどう です。 

日本人の魂の源です。。。

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