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受験まであと1年の覚書

1月からスタートした中学受験のシーズンが終わろうとしている。去年も2月1日の気持ちを覚書として残していたけれど、去年と圧倒的に違うのはそのリアリティ。1年後の今日は自分の子の番だ、という事実に気持ちが引き締まる。焦燥感ではないのだけど、いよいよ当事者になったという感じだろうか。

去年は、1月の埼玉・千葉の受験については「気づいたら始まっていた」状態だったのだけど、今年はもう、来年はわが身ということで、しっかりシミュレーションしている自分がいた。遠方受験ならば前泊するのか、新幹線で行くのか、というtips的なことももちろん、どの学校の倍率が高いとか、この学校は合格者の人数を絞ってきたとか、まるで今年の受験生かのようにウォッチしていた。

息子の小学校でも、1月半ばからは6年生は半数程度が休んでいるようで、息子自身も少しずつ受験の雰囲気を身近に感じ取っているようだ。普段、わたしは通勤が遅いので、実際に町で受験会場に向かう小学生を見かけることはなかったけれど、小さな身体で過酷な戦いに望む姿を想像するだけで目頭がツーンとする。

そして2月。東京の受験がスタートする前日の1月31日から気持ちがソワソワし始める。職場の先輩からも「来週はまるっと仕事を休んで子どもに付き添ってくるね!」と神妙な面持ちで言われ、「とにかく仕事のことは任せて、精一杯お子さんのケアを~!」と涙目で送り出すなど、身の回りでも臨戦態勢に。ちょうど上司との面談の時期でもあったので、来年のこの時期は仕事量を調整したい旨も伝えておいた。(実際どうなるかわからないけれども…)

リアルの生活では仕事の繁忙期もあって受験の話題はその程度だったが、わたしの主な情報収集先のtwitterでは、受験期間中に突入すると、普段フォローしていない人の中学受験に関するツイートもどんどん流れ込んできて、多くの親御さんたちの悲喜こもごもで、気づけばかなり濃密な感情が並ぶタイムラインになっていた。ほかでもない、このタイムラインを構成しているのはわたし自身なのだけど、通常なら1つ2つ、ポツポツと投げ込まれる小石程度のツイートが、この期間で一気に数が増え、増幅して波状になっていたという感じで、日を追うごとにわたしまで少しずつ重苦しい気持ちになっていったのも事実だ。

もちろん、ツイートする親御さんたちの気持ちには、同じ受験を目指す者として共感するし、応援もしている。先輩諸兄のツイートは知見に富んでいて頼りになるし、同じ代のママ・パパのツイートにも励まされ参考にもなる。なにより、自分の感情を吐露する場所でもある。それでも来年は、ネットでの感情に飲み込まれないように、twitterとの付き合い方を含め、バランスを考えないといけないかもしれない。そんな自分の流されやすい感情に気がついた受験期間でもあった。

きっと来年は、合否如何によっては、わたし自身のドロドロした感情やエゴとも向き合うことになると思う。でも、なにがあっても目をつぶらずに、目の前の息子の戦いを見届けられる親でありたい。子どもが少しずつ受験生になってゆくように、あと1年かけて、わたしも受験生の親になってゆくわよと、決意を新たに。


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