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2月1日の覚書

2月1日、朝の支度をして、子どもを学校へ送り出し、職場へ向かいながらtwitterをひらく。中学受験をする6年生の親御さんたちのツイートが目に入り、その想いや臨場感にあふれる実況中継に、胸の奥がざわめく。まだ12歳か11歳の子どもたちが勝負に挑む姿が目に浮かび、どうか彼らが実力を出し切れますようにと祈る。そして2年後のわが家を思う。

昨年の秋からすっかりnoteを書く時間が取れなくなったけれど、息子の通塾も1年が終わり、来週からは5年生のカリキュラムがはじまる。4年生の後半の様子はまた別の機会に書ければと思うが、2月のこのタイミングで全体をざっと振り返ってみたい。

中学受験をするかしないか、迷いながらのスタートだった。どうしても行きたい(行かせたい)学校があるわけでもなく、中受のメリットもデメリットも見聞きしてなんとなく予想はついていた。ともあれ半年通ってみて、どうにもダメならやめれば良い、と思っていたが、息子はわりと早い段階でペースをつかんで持ちこたえた。勉強時間がぐんと増えて、ストレスも増えたと思うけれど、宿題にぶつぶつ文句を言うことはあっても、塾をやめたいと言うことはなかった。

息子は、わたしが思っていたよりも真面目で几帳面な性格なようだ。「今日中に宿題を終わらせなければ」という、強迫観念めいたものも見られるのが心配なくらいに、まじめ。プレ反抗期なのか、親のアドバイスを頑なに聞こうとしない傾向もあるので、「今日はもうやめたら?」と言えば言うほど意固地になって無理をする。

また、これまでわたしは息子が「悔しくて泣く」というシーンをあまり見てこなかったので、「解けない〜!」「なんでこんなミスで間違えたの~!」と涙をこぼして悔しがる様子はとても意外だった。マイペースなこの子にも「負けん気」というものがあったのだと。(ただ、塾のクラスが落ちてもあまり悔しがる様子はなかったので、そのあたりの感情の機微はよくわからない)

ともあれ、息子は1年でとても成長したと思う。ちょうど1年前の算数の問題を解きなおしているが、当時苦労していたのがウソのように、いまでは考え方が身についている。語彙も増えたし、理科や社会の、ときには雑学とも思えるような身のまわりの知識を吸収し、その知識と知識が結びついて線になる瞬間も見受けられ、いわゆる「物知り」になった。これらは受験勉強をやって良かった、と思えるものの1つだ。

一方で親の方はどうかというと、仕事をしながらなんとか1年コミットしてきたが、息子の態度に感情的になったり、時間が割けずにフォローに手が回らなかったり、反省点はいくらでもある。

なかでも、わたしのメンタルの状態が、息子に影響するというのは顕著に感じる。息子の態度にイラついて声を荒げると、それに呼応するように息子も荒れる。ここはやはり年配者のわたしがグッと堪えて、うまくかわすようにしなければと思う。これはわたしの課題。

あと、わが家では夫が担っているが、受験勉強のみならず子育てにはユーモアが大事だと実感している。ちょっとしたミスやネガティブな気持ちも、大したことはないと思わせるような、少しのユーモアセンスがあれば乗り越えられる気がしている。子どもに「折れない心」を与える手助けになるかもしれない。

ツイッターを見ていても、とりわけ受験の最後の最後はメンタルだと感じる。子どものメンタルを鍛えるのも大切だと思うが、親の方もさらに揺るがない強い気持ちを、どんな結果になっても受け止める懐を、せめて子どもの前では演じなければと。わたしが次の1年で培いたいのはこれですね。

子どもは3年かけて受験に立ち向かう武器を身につけていくが、受験生の親というのも、一朝一夕にはできあがらないものだ。2年後に後悔しないように、わたしもできることを積み重ねよう。そんな風に思いながら、この2月の受験の日々を見つめている。

#中学受験

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