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夜からの手紙 ~月と陽のあいだに 外伝~

ハクシン(3)

 もちろん私だって、こんないきさつを最初から知っていたわけではありません。でも幼心に「なんだか変だ」と思ったことはありました。母と私は、あまり似ていなかったのです。
 母は子を産んでも少女のようなところがありました。一緒に遊ぶときは、よくお人形遊びをしたけれど、私はそれがちっとも楽しくなかったの。
 私は囲碁や双六のような遊びが好きで、お人形を使った「ごっこ遊び」は嫌いでした。お人形遊びの最中に、「お人形は生きていないのに、どうしてご飯を食べさせるの?」とたずねた私を、母はびっくりした目で見つめました。
 私には、愛しいとか可愛いとか、喜怒哀楽という感情が自分のものとしてわからなかったのです。きっとその時、母は私の感情の欠落に気づいてしまったに違いありません。
 それからは、私を見る母の目が前とは少し変わりました。可愛がってはくれるけれども、そこには実の娘に対するような親密な何かが欠けていたのです。

 母が私との距離を置いた分だけ、乳母と私はより強く結びつきました。乳母が実の母だったと知った今は、何の不思議もないけれど、母は乳母をよく思いませんでした。乳母の育て方が間違っているから、私が子どもらしくないと思ったのでしょう。
 確かに、そういうところはあったかも知れません。乳母は理知的な人だったから、私にお人形よりも囲碁や書物を与えました。母は父に再三苦情を言い、乳母に暇を出すように迫りました。けれども、父は聞き入れませんでした。出生の秘密がある限り、父は約束を違えることができなかったのです。
 お祖父様なら、乳母を殺したかもしれません。いいえ、お祖父様なら最初から、子を取り替えるような愚かなことはなさらなかったでしょう。
 お産に危険はつきもので、死んで生まれる子や生まれても育たない子はいくらもいるのですから。むしろ、その苦しみを一緒に背負って生きていこうとされたに違いありません。
 父はただ自分の立場を守り、非難を受けないために、弱いものを利用し犠牲にしたのです。
 母は、初めての子を亡くした後も何度か懐妊しました。けれども、そのたびに流産を繰り返し、とうとう子を産むことを諦めました。そして育ての子である兄に、すべての愛情をそそいだのです。
 父は皇太子という立場上、男子をもうけることを望まれていました。そのため、祖母のネレタ妃は父に何人もの美しい侍女を与えました。けれどもその侍女たちは、誰一人子を産むことはありませんでした。

 私が病弱なのは、生まれつきではありません。小さいころ、私はお転婆な子どもだったのよ。
 私が四つか五つくらいの時、母は兄と私をユイルハイの郊外の丘へ連れて行ってくれました。アラムの花が散って若草が伸び始め、草原にはたくさんの花が咲いていました。
 いつもは宮でお行儀よくしなさいといわれていたけれど、この時ばかりは別でした。兄と一緒に走ったり転げ回ったりして、思い切り遊びました。
 帰り道、遊び疲れた私は、母の膝の上で眠りました。きっと初めてのことだったと思います。
 宮へ帰って自分の部屋へ戻るとき、また行きたいと母にねだりました。母は嬉しかったのでしょう。それから気候がよい時には、たびたび外遊びに連れて行ってくれるようになりました。

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