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いちごのお菓子と老親と

今日は、まるで晩春のような暖かさだった。
南風が薄手のコートの裾にまとわりつく。
つい先日まで、ダウンジャケットを着ていたのが嘘みたい。

老親を連れて、港が見えるホテルへアフタヌーンティーに行ってきた。
昨秋、孫娘からプレゼントされたチケットを、ようやく使うことができた。
父89歳、母86歳。父は杖をつき、母はカートを支えに歩く。
「こんな素敵なホテルに来ることは滅多にないから」
めずらしそうにあたりを見回す老人を、ベルボーイが笑顔で迎えてくれる。

大きな窓から、白っぽい水色の海が見える。
桟橋には、海上保安庁の白い警備艇。
「港へ来たのは久しぶりだ」と父が目を細める。

紅茶とコーヒーをオーダーすると、お待ちかねのティーフードの登場だ。
所狭しと並べられたお皿には、スコーンやキッシュ。
三段のケーキスタンドには、小さくてキラキラしたいちごのお菓子。
ソファにちんまりと座った老夫婦は、目をまんまるくしたり、細めたり。
我が親ながら、なんだか可愛い。

二人がこんなに穏やかになるなんて、私が子どもの頃には想像もできなかった。
今でも、父はやっぱりわがままだし、母は文句を言うけれど。
どんな人の上にも時間は流れて、いろいろなものを削ぎ落とし、また与えてくれる。

父のようにはなりたくない、と思っていたのに、私の思考の奥底によく似たものを見つけてしまった。
小さい頃は私の世界の物差しだった母が、本当は意外と世間知らずの天然だったということも発見した。
反抗したかった時、幼かった私には力がなかった。
大人になってようやく対抗できるほどの力を持った時、両親は弱い老人になっていた。
振り下ろそうと思っていた拳を、頭の上でぐるぐる回しながら、私はお菓子を食べている。

次に来るときには……。
「いちごじゃないお菓子もあるといいね」
次の約束が心許なくなってようやく、私は少し優しくなれた。

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