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月と陽のあいだに 209

流転の章

慟哭(3)

 その頃、医学院では……。

「とても順調です。お子様が大きくなりすぎないように、無理のない範囲でお身体を動かされるとよろしいかと存じます」
 主治医の言葉に、白玲とハンナは顔を見合わせて笑った。
「お馬車の用意をさせますので、こちらでお待ちくださいませ」
 そう言って出て行ったハンナが戻ると、白玲は礼を言って席を立った。

 ハンナと護衛に付き添われた白玲が、中庭に面した回廊にさしかかった時だった。庭の一角から「バーン」と大きな音がして、火柱が上がった。
 護衛の一人が走り出すと、今度は反対側の回廊の奥から大きな音が響いた。白玲たちを取り囲むように次々に爆発が起こった。それぞれの爆発は大きなものではなかったが、驚いて飛び出してきた人々で大混乱になった。

 白玲も人の渦に飲み込まれた。護衛との間にわずかな隙ができた時、寝巻を着て顔に包帯を巻いた患者が、白玲に近づいてきた。その手には、鈍く光る短刀が握られている。
 気がついた護衛が剣に手をかけるが、人混みの中では抜くことができない。懐の小刀で切り掛かると、包帯が切れて男の顔があらわになった。

 オラフ・バンダル。
 ハンナに抱きかかえられた白玲が思わず後ずさった。護衛がオラフの腕を捕えようと手を伸ばした時、そのすぐ後ろで爆音が響いた。
 護衛をかわしたオラフが、白玲の袖を力まかせに引いた。重心を失った白玲がオラフの足元に倒れ込み、体勢を立て直した護衛が、オラフを引き離そうと飛び出した……。

「アンジュ、加勢を!」
 若い女の声が響き、一本の小刀がオラフめがけて投げられた。
 風を切って飛んだ小刀は、オラフの頬をかすめて回廊の柱に突き立ち、護衛の動きも一瞬止まった。
 その隙に、オラフは体を丸めた白玲をめちゃくちゃに蹴り上げ、短刀を振り下ろした。

「やめて!」
 白玲の悲鳴に、オラフの罵声が重なった時、人混みを乱暴にかき分けてきた人影が、白玲の上に覆い被さった。
「白玲!」
 振り下ろされた短刀が突き立ったのは、濃紺の衣の背だった。
 よく知った香りに白玲が顔を上げると、その頬に温かい血が伝った。
「怪我は……ないか……ひとりでするなと……あれほど……」
 言葉が途切れ、白玲の上にずっしりとした重さが加わった。
「あなた! ネイサン!」
 身を起こそうとした白玲は、激痛に襲われて血溜まりの中で気を失った。

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