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あたかも自然であるように

 今日は庭木の枝を切りました。
 私の小さな庭の生垣は、数種類の木を混ぜて植えてあります。夏の間に思い切り伸びた枝が飛び出して、自由気ままもいいところ。カット間近のヘアスタイルのように、なんともボサボサと見苦しいので、手入れを思い立ったのです。去年は全くの自己流で、大事な木を切りすぎて、枯れるんじゃないかと、冬中気が気ではありませんでした。だから剪定のやり方を勉強し、リベンジです。
 私が好きなのは「自然樹形」。雑木林の木々のように、作りすぎない自然な形を目指します。とはいうものの、猫の額ほどの庭では、伸び伸びと枝を伸ばすことは無理な相談です。そこで徒長した枝を切り詰め、重なって伸びる枝を間引き、せめて風通しが良くなるように整えます。
 ちょきん、ちょきんと切りながら、「これって、文章の推敲に似ているな」と思いました。物語を書くとき、一番苦心するのが削ること。素人だから、書きたいことがあると、出来るだけたくさん、可能なら心にあることを全部書きたいと思ってしまいます。その上、書いている時は軽いトランス状態になったりして、さも名文を書いたかのように錯覚し、饒舌になることもしばしばです。
 でも本当に読みやすい文章は、簡潔な言葉で過不足なく思いを伝えるもの。ちょうど冬の落葉樹の枝が、重なり合うことなく伸びて、しなやかに風に揺れるように、すっきりと無駄なく、目に心地よいものだと思います。
 そよそよと心地よく、人の心に伝わる文章。テクニックの問題はもちろんですが、中身が充実しているのが大前提なのは当然のこと。小さな庭でも耕して、肥料を与え、豊かな土を作るように、自分の心を耕し、小さな発見に驚き、新しい知識を身に付けることも忘れないように。あと何年書き続けられるかわかりませんが、一度くらい書いてみたいなあ、「自然樹形」文。そんなことを考えていたら、やっぱり切りすぎた…。

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