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ストレートな告白


君はね、わらってなくてもかっこいいんだよ。


わたしがこれまでのnoteで時々述べた「たったひとり」の相手は、こうして時々絵を載せる、「ノツさん」というひとです(「ボス」とも呼んでいます)。

わたしは、ノツさんの描く、人の顔が好きです。
それは、実在している好みの人物の顔、ということではありません。

ノツさんの描く、人の体が好きです。
そこで「体を描くのが上手だね」と言うこともできます。そう言われて嬉しい相手なら、わたしはきっとそう伝えます。
でも、「わたしが、人体を描くことの上手い下手を評することのできる人物であるか」という点に於いて信用されなければ、これは褒め言葉として通じないと思います。わたしは、上手かどうかという話は、それが必要な相手や場面でしかしません。

ノツさんは、見たままを描いているだけだと言います。
だけ、と言いますが、「そう見えている」ことが、わたしには重要です。
絵を描くことだけではなく、「同じものが同じに見えているか」「同じ言葉を同じ意味で使っているか」という確認ができるかどうかは、わたしにとって、大事なことです。かならず同じであってほしいということではなくて、違うなら違うことをちゃんと認識して、お互いが分かるような形にしたい。
だから、「あなたに見えている形を伝えてもらえること」は、本当に重要なんです。

ノツさんは、わたしの中にイメージがあるだけの、わたししか知らないはずのひとの顔を描いてくれる。わたしが思わず、「顔が好き!」って言いたくなる顔を、出現させてくれる。
わたしの好きな顔の人が、そこに「いるなあ」って思うんですよ。

顔が好き、と思うことは、「外見でひとを選ぶ」というのとは全然違う話です。わたしは普段、「外見の良し悪し」の話はよく分からないですが、ノツさんの描く人の顔は「好き!」としか言いようがないのです。

「わたしにだけ、かっこよく見える」なら、それでも全く構わないのです。そう見えることをノツさんが喜んでくれるから、「あなたの描く人の顔が好き」と伝えるのが、もっとも率直な、告白の言葉になるのです。


だけど、もしかしたら本当は、ボスの絵がわたしを「好き」と言っているのかもしれません。きっと、もしかしたら、ね。
あー、すきだなあ。



恐れ入ります。「まだない」です。 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 サポート、ありがとうございます。本当に嬉しいです。 続けてゆくことがお返しの意味になれば、と思います。 わたしのnoteを開いてくれてありがとう。 また見てもらえるよう、がんばります。