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光はもう見つけられる

たぶん、気持ちはもう前を向こうとしていて、きっと歩き出せる気がしているのだけれど。通り過ぎてしまったら忘れてしまうから。
また恐怖に襲われた時に、わたしの言葉が救えるように、ここに置いておかせてほしい。もう二度と振り返る必要がなければ、それがいいよ。
これはきっとまだ途中の気持ちだ。だけど、自分がどこを通ったのか、記しておかせて下さい。


どろどろに鬱ぎ込む自分を責める自分がいる。ぴかぴかと誇りを見せようとすればまた、目立つなと責める自分がいる。
このわたしは、周りに言われてきたことを忠実に引き受けようとしつつ、それでいて一番にわたしを守ろうとしているのだ。これで、守っているつもりだ。わたしが人と違うことをしてはぐれたり傷つけられたりすることを案じて、守りたいのだ。
だけどわたしは、人の言葉で本当には傷つけられない。わたしが孤立するのは、いつも、傷つけようとしても決して傷つかないところがあるからなんだよ。
わたしは信じて生きることしかできない。疑っている間ずっと傷ついている。「世の中はわたしを傷つけるものだから疑わなければ」と思えば一歩も動けなくなる。そして、疑いようのないわたしでいることしかできない。


わたしを犠牲にして成り立っているとしか思えない家庭環境で育った。家庭の外に出ても、大体同じだったと言える。
ただ、わたしは、そんな環境で育ったから「こう」なのだとは思わない。わたしが「こう」だから、孤立せざるを得なかったのだと思う。
生涯をかけて、このわたしと付き合ってゆくのだと思う。それはきっと、たとえば何か診断名のつく性質を持っていたとしても、結局は同じことだと思う。
むしろわたしがわたしでよかった。わたしがいることで、関わってきた環境に於いて、他の誰かが守られていたのなら本当によかったと思う。わたしだから今も生きている。
他の人なら、どこかのタイミングで耐えられなくなっていただろうと真剣に思う。わたしが耐えきれているとは言い難いけれど、生きているのだから、よかったと思う。

痛みを分かち合えるかと思った相手に、わたしが思ったよりも普通だったので(あるいは、普通ではなかったので)、「同じだと思ったけど違った」というようなことを言われたことがある。これは悲しい。体験は違っても、同じ気持ちはあると思っていた。体験は一人一人、違うものだと思うのだけど。
でも、これが客観的なわたしの見え方だとも思う。
わたしの人生は、「わたしを除けば」正常だ。こんな正常な人生に苦しみを感じるわたしだけがおかしい。


そんな感じに生きていると、困ったことに、話したことが少しでも伝わりそうだという時に、「もういいかな」と思えてしまう。「分かるよ」と言ってもらえるだけで、「おかしくない」と言ってもらえるだけで、居てはいけない場所ではないんだと思えるだけで、「ああ、もういいや」と思ってしまいそうになる。
今のわたしの闘いはそこにある。
誰もわたしを否定しないとしたら、誰もわたしのやることを非難しないのだとしたら、わたしが本当にしたいことはなんなのか?ただ許されることに安心して終わりにしてしまいそうな自分と闘いながら、考える。

わたしは純粋な心のままでいたい。
育った環境のせいで「大人になれなかった」わけじゃない。

「大人にならないままの大人」に居場所はないと思っていた。「わたしは大人になれない」と言ってしまえば、「心を治しましょう」「大丈夫、大人になれますよ」と言われてしまう気がした。
治す方法も、受け入れられる場所もいくらでもあるのに、自ら閉ざして囚われたがっていると、責められる気がした。だから自分で「このままの自分で生きる方法」に辿り着く他に、道はないと思っていた。まだ思ってはいるのだけれど、そんなふうに自分を打ち出していく中で、感じられてきた変化がある。

「大人にならない側からの考えが必要とされる場はあるのではないだろうか」

社会にも、変わって行こうとする大きな流れを感じる。わたしも力になりたい。しかしわたしには、「未来ある世代のために大人である私たちができること」を行う力が無い。一人前の大人にできることを、できるようにしなければそう願う権利さえ得られない気がするのだ。
だけどきっとそんなことはないと、わたしは信じたい。誰にだってその生き方そのままで、意味がある。できることがある。そう信じて、そう伝えて生きていたい。
だからわたしは、自分の望みを明らかにするための闘いを続ける。

自ら目を開いて探せば、自分の体験を語って教えてくれている人はたくさんいて、もし「自分にはとてもできない」と思っても、そこから「どうしてできないのか」「自分には何だったらできるのか」と考えることができる。わたしの話すことも、どこかで、誰かにとってそう考えるきっかけになるのかもしれない。
かつては「同じじゃない」と言われることが悲しかったけれど、今はむやみに同じであろうとは思わない。いろんな人がいる中で、共感するよりも「みんな違う体験や考えを持っているんだなあ」と知ることができる。わたしも人と違うことを嘆く必要が無いんだと思える。

わたしを救うために語りかけてくれる言葉は、わたしが語らなければ存在しない。だから自分で、あるようにして行く。
他人の言葉を聞きすぎて失敗を重ね続けたわたしに、聞かせてあげたいわたしの言葉を、書き記す。

後になって、こんなこと書かなければよかったと思うこともあるかもしれないし、あの時恥をかいておいてよかったと言える未来もあるかもしれない。
きっとまだここから闘いがある。これは、今のわたしの精一杯です。



恐れ入ります。「まだない」です。 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 サポート、ありがとうございます。本当に嬉しいです。 続けてゆくことがお返しの意味になれば、と思います。 わたしのnoteを開いてくれてありがとう。 また見てもらえるよう、がんばります。