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心の体調を観察する

毎日、水の量が違う。揺れ方が違う。

今在る痛みの鮮度が高い時は、恐怖を感じるから触らない。「怖いもの」を「悪いもの」と思いたくないから離れるよ。
「怖いもの」にわざわざ触りに行ってしまう時は危ない。危ないけど、無理には止めない。体という命綱があることを思い出してね。


いわゆる「落ち着きを促す」ものに漠然と「恐怖」を感じていることが多かった。
音楽とか、物語とか。香りに対しても「怖いにおい」みたいなものがある。
どちらかと言えば「気分の高揚を促す」ものに触れていると落ち着いた。
寂しいと楽しくなる。

感情を測るものがどこか壊れているのかなとも思ったし、別段おかしくないとも思う。おかしいと貶されることがあるとしても構わないし、あまり褒められたくもない。

言葉だけで選ぶのでなければ差し支えないことも多いけれど、しかし情報は信用ならない。ラベルが無い方が迷わずに受け取れる。感覚で受け取ったものを俯瞰して思考する時間が好き。「分析」という印象ではない。

楽しくて元気が出るものが好き。
でも、心との距離感が分からなくなっている時、いつも教えてくれるのは感傷なんだよなあ。

これを「感傷」と呼んでしまうのは、心がタフすぎるのかなと思う。普通に「傷ついていい」と思うよ。痛いって言っていいよ。


恐れ入ります。「まだない」です。 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 サポート、ありがとうございます。本当に嬉しいです。 続けてゆくことがお返しの意味になれば、と思います。 わたしのnoteを開いてくれてありがとう。 また見てもらえるよう、がんばります。