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色の絵

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見出し画像に色の絵を使っている記事です。どの絵も気に入っているので、見てもらいたいなと思ってマガジンにまとめました。ほんのすこしですがみんなのフォトギャラリーにも上げていますので…
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#雑記

はちがつにいる

夏が好きで夏にいたくて、わたしは時に10月まで夏を引きずることがある。 秋が長いと過ごしやすくて本当に良いのだけど。秋はいい季節だ。 ファッションが好き。見ているだけでも一番楽しい季節。夏の鮮やかな色たちも大好きだけど、色を楽しめるのは実は秋だよね。深い色が好き。 さつまいもが好きなので嬉しい季節。このところ柿も好き。チョコレートが常温で大丈夫になってくると嬉しい。 ススキや稲穂の揺れる午後を思うと気持ちがぴかぴかしてくる。月が美しいのも。秋の楽しみはあふれてくるのにね。晩秋

夏に近づく

長い回想の中にいたように思う。 自分と対峙して生還するような時間を過ごしていた。 ちゃんと生きて還れたかな。 今の自分を迎え入れるために、自分の過去と、手を振って別れたような気がした。 また会えるのかもしれないし、もう会えなくても、きっと寂しがったりしない。 わたしはわたしの体験を、自由にしてあげたかったんだよ。 大事に抱えていたんだよ。 たぶん、体験を引き止めておかなくても、わたしの心の仄暗さは消えて無くならないと思う。そのことを、信じたかったんだな。信じるのが怖くて、

チョコミントのケーキは売り切れだった

ハッピーなことを書きたいんですけど?!って気分になってるのに何かが頭の隙間にはさまってて、そういうの全部エイッ!ってぶん投げて、ハイッ次行こう、次!ってしたいんですが、どうにもここを倒さないと進めないのか?今やり過ごしても結局、その場しのぎじゃしょうがないのかな。後回しにしてるだけなんだろう、やっぱりいつかはやっつけなきゃいけないやつなんだよ。 チョコミントのケーキは期間限定なので、今期は間に合いそうなら、また行ってみます。 とりさん なおくん。涼しげでいいね。 ボスの

すこしだけってどれくらいかな

ほんとに、なんでもない立ち話から小一時間喋ってしまうような性格を、よくないとは思っていないんだけど、またいっぺんに全部話そうとしてたな。今日はやめとこう! 総動員したいことがある。今日は本当にちょっとだけにしよう。ゆっくり歩こう。またこってり話すこともあると思うけど、いまは好きなものと一緒にいよう。体が楽しいことに寄り添う時間にしよう。 今日の絵のこともすこしだけ。 いつもの色の絵は、ここからもっと手を加えて「作って」いますが、今日の絵はだいぶそのままのものです。なんとな

ゆうがたに生まれる感傷

外の空気を感じたい。 行先を決めずにあなたと歩きたい。 夏を暑がりながら、わざわざこんな日に、ねえ、って笑いたい。 花は見たよ。 桜もチューリップも。ハナミズキも。 つつじや藤も、バラも見た。 あじさいもいい頃だろう。 イチョウの幼い葉を見た。だんだんに葉が育って、真夏にさわさわと光を集める様を見るだろうか。 田んぼを見たい。 さあっと風が撫でていく清々しい景色を見たい。 果たしてどれだけを、もう一度あなたと過ごせるだろう。 心配ないよ。 月も星もまた姿を見せてくれ

季節はこれから満ちていく

ようやく体が寒さに馴染んできた。もっと寒くなる心の準備。12月の気候は難しい。「まだ大丈夫」な寒さと、「もう寒いな」と感じる気温を、日ごと行き来するので気を遣う。寒くなってしまえばあとは再び暖かくなる日を待てばいい。冬は人恋しくなったりするけれど、夏の暑さもまた恋い焦がれる疲労感のようで心地よくて好きだ。季節はいつでも、何かを想わせる。 窓辺でわたしの想う先を見て、季節の行く先を一緒に感じてくれるような、大切な人がただひとり、わたしにはいます。 たったひとり。 わたしが今も

誰かのやり残した夢でも構わない

いつか何かになるかもしれない、ならないかもしれない。言葉だけじゃ届かないかもしれない。 だけどもし、このままで誰かの心を癒すことがあるなら、必要とするひとのところへ届けばいいと思う。わたしはわたしで何とかなるだろう。今必要とするひとに、届けばいいと思う。 正しさが許されていたい。お土産を持って、挨拶をして、靴をそろえて、玄関から入ってゆく正しさが好きだ。だけど勝手口から出入りする関係がある。正しさがすべてじゃない。気を許す関係は見ていて気持ちよくもある。 自分自身がそこに心

今の季節は夕方がきれいだね

すべてがわたしを拒むので 生命力が弱いんだと思う。 この季節を越えられないだろうといつも思う。 このまま枯れてゆけないかとじっとしている。 すべては生きたいひとのために存在してる。 わたしは死のことばかりを考える。生きながら死に関係することを考えるのは、死への恐怖を克服したい人々の自然な働きかと思う。 わたしは何も克服しない。 ひとりでなくなることはいつだってできる。 わたしはずっとひとりなんだろう こんなこと、話してしまえば真実味がなくなる。だけどわたしはこんな話だけ