忘れていい、無くしていいよ
努めて明るく振る舞うのも、世を憂いて見せるのも、いずれもわたしの姿だけれど、「誰かのためのわたし」であるように思う。
どれも決して嫌いではない。明るい自分は好きだ。情緒の安定しない自分も、悪いばかりではないと思う。何も嫌いじゃない。「本当のわたしじゃない」と言ってしまうのは何か抵抗がある。
だけど、「本当のわたしは別のところにある」気がしているのも、本当の気持ちであって。
ほんとうは、「本当の」とか「本物の」とかではなくて、「まだ出会ってない自分」がいるんだと思う。
まだ、