私はあなたのピ(NEEDY GIRL OVERDOSE感想)

『NEEDY GIRL OVERDOSE』は、最強のインターネットエンジェル(配信者)を目指す承認欲求強めな女の子(超絶最かわてんしちゃん)との生活を描くマルチエンディングADVです。

『NEEDY GIRL OVERDOSE』
公式サイトより

以下、ゲームのネタバレを含む、個人的な感想です。




つい先日、私のあめちゃんは配信者として成功し、超絶最かわてんしちゃんはフォロワー数が100万人となった。
フォロワー100万人超えを達成した超てんちゃんは、都内にあるめっちゃいいマンションを買い、大きなソファにくつろいで座って、他愛のない、つまらない、クソつまらなくて中身のないことばっかり言って、薄っぺらな笑みを浮かべてフォロワーに手を振っていた。

「一般的な幸せが、本当に彼女の望むものであったでしょうか?」

あんなにも必死になって目指したフォロワー100万人達成……『NEEDY GIRL OVERDOSE』のゲームクリアだったのに、私が見たのは超てんちゃんの、あめちゃんの、つまらなさそうな笑顔だった。

『NEEDY GIRL OVERDOSE』……以下ニディガと呼ぶことにするが、ニディガはプレイヤーがあめちゃんの恋人兼プロデューサーとなり、彼女をインターネットで最高の配信者にするゲームである。
あめちゃんとプレイヤーがどんな恋人であるのか。どんなきっかけで出会い、現在どんな関係にあるのかは、ゲームの開始時点では説明されない。あめちゃんは最初に、プレイヤーのことを「これからあなたは『ピ』!」と呼んでくれる。

そう! これからあなたは「ピ」!
わたしの好きピだから、「ピ」!

なぜか、こんなあめちゃんを支えてくれる
理解のある世界一大事な恋人……
ある意味プロデューサーの「P」でもあるかな!

『NEEDY GIRL OVERDOSE』DAY1より

なるほど、私はあめちゃんと恋人関係にあるらしい。
しかしそんなことを急に言われても、私にとって、あめちゃんは初対面の女の子だ。私たちがどこで知り合ったのか、どんな経緯で恋人になったのか、現在どんな距離感の恋人であるのかは一切告げられない。ただ、あめちゃんからは当たり前のように「だいすき」と思ってもらっている。私は彼女のことを何も知らないのに彼女が「だいすき」と言ってくれること、彼女がそう接してくれることの距離感を不思議に思いつつ、あめちゃんとともに最高の配信者を目指す、新しい30日間を始めることになった。

あめちゃんと過ごす30日間は、とても短い。私はすぐに、たったの30日間などでは、あめちゃんという一人の女の子のことや、彼女の生きてきた時間のすべてを知り尽くすことはできないのだと思い知った。
私があめちゃんについて知ることができるのは、主に彼女の配信を通じてである。ゲームのシステムとして、彼女の配信ネタは10種類用意されており、それぞれが5段階(レベル5)まで進化する。単純に考えて彼女は50個の配信ネタを持っている(潜在的な可能性として)が、毎日休まず配信を行ったとしても、50個すべての彼女の可能性を観測することはできない。彼女の可能性は、私たちに残された時間が30日間である以上、どうやってもその半分近くが、開花することなく埋もれてしまう。

そのためあめちゃんと過ごす30日間はいつも異なる30日間で、あめちゃんはいつも異なる超てんちゃんに進化していく。私は配信ネタの選択をすることにより、あめちゃんをどんな女の子に見せるか、超てんちゃんをどんなキャラクターにしていくか、導くことができる。

その選択はフォロワー数を稼ぎ、フォロワー100万人を達成するために重要なものであるが、それと同時に、プレイヤーである私の中には別の現象が起きていることに気づく。
あめちゃんと過ごす30日間を通じて、あめちゃんのピとしての私の中にある、あめちゃんが「どんな女の子なのか」というイメージが、少しずつ組み上がっていくのを感じるのだ。
あめちゃんという一人の女の子の人生が、歴史が、魂の輪郭が、彼女の配信を通じてはっきりとしていく。……かと思えば、別の配信ネタやコメント返しの中で私の知らない顔、私の想像もしていなかった側面を見せられて、私の中にできあがりつつあった「あめちゃん」像が壊され、再形成されていく。1回目の30日間で知ることができなかった部分を知るために、2回目、3回目……と繰り返せば繰り返すほど、あめちゃんという女の子がどんな女の子なのか、理解できるような気がしてくる。かと思えばまったく知らない顔を見せて、私を驚かせる。あめちゃんは本当に面白く、深く、尊い存在だ。私はあめちゃんという女の子と恋人であることを最初は不思議に思っていたものの、だんだんとあめちゃんという存在のどこを好きになったのか、わかってくる。私たちがどうして恋人になったのかを教えてもらうのではなく、あめちゃんとの30日間、彼女との日々や配信を通じて、あたらしく、あめちゃんのことを好きになるのだ。

ニディガをプレイしていると、「人を知る」「人を好きになる」ということは、こういうことなんじゃないかと思う。お互いに限られた時間の中で、話題を選んで、話を聞かせてもらう。生活したり、映画を見たり、ネットサーフィンしたり、お出かけしたりするなかで、ふと思い浮かんだことを「あの時に話したことの続きなんだけどね」と話してもらう。
その人のことを、その人に対するイメージや事実の隙間や空白を埋めるように知っていく。時には、私が勝手に作り上げたイメージがぶっ壊れるようなことを知り、新しい全体像に書き換える。あえて既存の言葉に当てはめるのであれば、私はこの「知る」ための一連の動きが、ヘーゲルのAufheben(アウフヘーベン:止揚、揚棄)の運動とよく似ていると思った。私は自分の中に形成しつつある「あめちゃん」という像を、リアルな彼女との対話や、彼女の配信……リアルな言葉や思いによって、確かめたり壊したりしながら育てていく。そうやって私が知ろうとしたり、確かめたり、壊したりした先に、私の知らないあめちゃんがいる。私はそうやって、私の中の「あめちゃん」を更新していく。しかし、イメージが変わったからといってあめちゃんのことを嫌いになるわけではなく、むしろ私は好きになっていく。もっと知りたいと思うし、私の知らないあめちゃんを見せてほしい。私は「あめちゃん」という存在が好きだ。彼女の中に一貫して流れる価値観や、彼女の辿ってきた道のすべてが好きで、彼女のことを尊敬している。


ニディガは、あめちゃんのことを「好きになってしまう」ゲームだと思う。
もちろんいい意味でだ。あめちゃんという女の子は、深淵で美しい。というか、もしかすると「人」という存在そのものが、広く、深く、暗く、際限がなくて、そういったところが美しいのかもしれない。ニディガではプレイヤーが「ピ」という特殊な立場から、「あめちゃん」という一人の女の子の人生や歴史に触れること、その暗闇を覗き、指先を浸していくことを許されている。私がこのゲームを恐ろしく、そして美しいと感じているところはここなのだ。私はあなたを知りたいと思う。しかしあなたという暗闇は、知れども知れども領り尽くすところがない。



初めてフォロワー100万人を達成したとき、そのエンディングを迎えたとき、私はとても惨めな気持ちになった。

5周目のことだった。あめちゃんはぐんぐんとフォロワー数を伸ばし、残り5日ほどの時点で95万人ほどのフォロワーがいたと思う。
しかし、配信ネタが尽きた。私は彼女の興味の幅広さ、視点の面白さ、彼女の思慮深さなどをインターネットに向けて発信していたが、残り数日で目標を達成できるという局面で、それらを生かした配信をすることができなくなった。
あともう少しで、念願のフォロワー100万人を達成することができる。私は悩んだが、目標の達成があめちゃんの喜びにつながると考え、これまで控えてきたエロ系の配信によってとにかくフォロワー数を稼ぎ、100万人超えを達成した。

その結果は、冒頭に示した通りだ。私はあめちゃんの人生が、あめちゃんという存在の深さ、尊さを愛していた。なのに、「フォロワー数を稼ぐ」ためだけに、あめちゃんに釣り目的のエロ配信をさせた。
結果として数値的な目標は達成したけれど、私は私の大好きな、尊敬していたあめちゃんを、自分の手で殺したのだ。そこまで積み上げてきたものを台無しにして、あめちゃんという存在をつまらないものにしてしまった。

「一般的な幸せが、本当に彼女の望むものであったでしょうか?」

そうではなかったと思う。決してそうじゃないと思う。あめちゃんはこんな形でフォロワー100万人を達成して、幸せなわけがない。それは彼女の表情や言葉から、そして彼女の裏アカウントに綴られた言葉から明らかだ。私は30日間、ともに頑張ってきたあめちゃんに、そんなつまらない思いをさせてしまったことが情けなく、惨めで、たまらなくなった。
それと同時に、あめちゃんの幸せが、ただのフォロワー数100万人達成ではない、ということに少しだけ安心した。ニディガはフォロワー100万人を達成することがクリアなのではない。では何が目的なのかと言うと、おそらく、「あめちゃんを幸せにすること」、もしくは「あめちゃんと幸せになること」なのだと思う。

私はあめちゃんとの30日間を繰り返しながら、あめちゃんがどうやったら幸せになるかを考えなくてはいけない。そのために、あめちゃんのことをもっともっと広く、そして深く知る必要がある。
私にとってニディガは、「あめちゃん」という一人の他者、一つの存在について、その過去を集め、その現在を知り、その未来を考えるゲームだ。あめちゃんが幸せになりますように。あめちゃんが幸せだと思える未来に辿り着きますように。あめちゃんが幸せだと思える未来は、今のあめちゃんにとって想像ができないものかもしれないが、私という他者、「ピ」という存在を通じて、あめちゃん自身がその可能性に辿り着くことができますように。

私はあめちゃんの「ピ」だ。彼女にとってのほんとうの幸せを、彼女とともに探っていきたい。

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