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そこにいるということ

欲しかった言葉を手に入れた時、
今自分がどこに立っているのかを
知ることができる、そんな気がします。

ひとはみんな一緒にいるようで、
実際は1人。
でもそれはみんな同じ事で、
今自分がどこに立っているのかを知るために
他者がいる。
でも、立ち続けるためには
自分の意志があるかどうかだけ。

その中でみんなそれぞれそこにいるように
ふんばっていたり、時には座り込んでいたりする。

立っていることが大変だったり、
今埋もれていることは
自分にしか分からない。

そうした孤独を抱えた姿は
誰かにとっては道標になっていたり、
目指すべき目標となっていたりします。

その場に立ち尽くすようなことも、
誰かの目には光になっているのかも知れません。

そこに居て、自分の意志でい続けること。
それはシンプルなようで難しい生き方です。

目指すべき場所、ここがどこなのか、どこからきたのか
みんなはどうしてるのか、
わかりやすい指標が欲しくなるものです。

でも分からない部分にこそ意味があり、
目に見えてわかったような気になっている部分は
いつのまにかサラッと剥がれたポスターのように
手がかりにはなってくれないものです。

欲しかった言葉を手に入れる、
ということも
その場にい続けることを決めたひとに
やっともたらされる一滴の雨のような
そんなそっとしたものかもしれません。

ここ最近、自分が努力して
これを獲得すれば叶うと信じていたことが
あっけなく、それは砂の塊を足で蹴散らすように
ざーっと目の前から去っていったことがありました。

そこから
もしかして、自分は
星と勘違いして、全然違う光に見えるものを
追っていたのではないか。
という疑念が生まれました。

そしてそれはずっと気が付いていたのに
見ないふりをして、わかりやすい明るい方を見続ける
努力のみをしていた自分の浅はかさゆえに
目を覚まさせられたーそんな瞬間でもありました。

今一度
自分が立っていることがどんな格好なのか
どこにいるのか
見つめる時が来たように思いました。

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