-3-■1976年 1年ぶりの変身セット

 それは初荷(はつに)を出し終わった1月のある日。とある地方問屋(一説には北海道の有力問屋という説もあるが、本原稿執筆時には確認はとれていない)からの一本の電話であったという。
「3月に終了する『ゲッターロボG』の再放送を4月にかけたいのだが、その放送枠の提供費用をタカラにも負担してもらえないだろうか?」
 『ゲッターロボG』の商品化権はポピーが独占に近い形で取得していたが、それは本放送のこと。もちろん再放送にあわせてポピーは超合金などの主力商品を継続して発売。地方問屋は自分の商圏での再放送にあわせて在庫を仕入れるわけだが、その際にメーカーに対してスポンサー枠の一部を負担してもらうことはよくある話でもあった。キー局と異なりローカル局の波代はそれほど高くはない。当然、『ゲッターロボG』の再放送枠の場合、自社の商品を仕入れることを条件にポピーがスポンサー枠を負担するのが当然の成り行きといえる。これによりポピーは在庫を減らすどころか、本放送終了後も金型償却の終わったキャラクターを生産することになるで、さらに利益を得られるのでウィンウィンの関係ともいえた。しかし、その地方問屋によると『グレートマジンガー』など他の番組の再放送枠をすでにポピーから負担してもらっているので『ゲッターロボG』の再放送枠は負担してもらえないという。この当時は、高度経済成長を経て地方都市には百貨店や商店街が栄えており、おもちゃメーカーにとってはこうした販路を掌握する地方問屋は極めて重要な存在であり、メーカーに対しても強大な発言力を持っていたのである。そのために連休や秋口などは各メーカーが新製品を持ち寄り、その地域の小売店向けの商談会と消費者向けのおもちゃイベントなどもメーカー側の費用負担で開催するほどであった。逆に言うと地方の商圏にはそれだけのバイイングパワーが秘められていたことを意味する。通常ならば『ゲッターロボG』はタカラの提供番組ではないので、スポンサー枠に乗ることはないのだが、力のある地方問屋からの申し入れであることからタカラはこれを了承する。もちろんタカラの商品を仕入れることが条件であったのだが、この中のやり取りで問屋側から「タカラさんも『ゲッターロボG』の商品出してくれたらウチも買うんだけどねぇ」との言葉が出たという。もちろん、問屋側もタカラがこの作品を商品化していないことを熟知したうえでの言葉であったのだが、それを聞いた営業は「Gじゃなくてゲッターロボなら少し出せるのに」と思った時、あるひらめきが浮かぶ。すでにタカラでは『鋼鉄ジーグ』の後番組をスポンサードすることは東映動画との間で合意しているが、その段階でダイナミックプロ抜きで進めることは決定していたという。『ゲッターロボG』の版権窓口は東映動画で原作は永井豪(正しくは永井豪・石川賢)とダイナミックプロという『鋼鉄ジーグ』と同じ布陣であった。「変身セット」で『ゲッターロボG』を出せば、在庫の「変身サイボーグ1号」が動くかもしれない。その営業マンは即座に開発の元に自分のプランを持っていくも、開発は「ミクロマン」「マグネモ鋼鉄ジーグ」「ジーグの後番」の3つの案件を抱えており、色よい返事は得られなかったという。しかし、この地方問屋がトップと昵懇の仲であったことが幸いした。渋る開発、生産、営業の各部署に対してトップダウンで商品開発のスタートを指示したのだ。タカラ社長の著書によると、「女の子向け着せ替え人形でトップメーカーの位置にいるのだから、男の子の着せ替え人形でもトップメーカーである必要がある」と当時のことを述懐している。1年のブランクがあるとはいえ、すでにフォーマットが完成している「変身セット」ならば開発マンの手を煩わせずとも本社工場で対応できる。また過去に発売した『ゲッターロボ』のパーツを使えば新規に原型を必要とするのは頭、胸、腕だけで済む。しかもデザインを見れば腕も一部の変更で済みそうだ。かくして『ゲッターロボG』の「変身セット」の開発は急ピッチで進められ、再放送にあわせて発売されることとなる。いうなれば一種の特注品ではあったのだが、これが思わぬ好評を呼び、即座に全国での受注も開始された。もちろん対象は『ゲッターロボG』を再放送する地域に絞り込んでの営業である。再放送のスタートと同時に発売される新製品はどの地方問屋でも好評であった。一部の小売店では本放送が終わった番組ということで怪訝な反応はあったというが、『ゲッターロボG』の「変身セット」と一緒に店頭在庫であった「変身サイボーグ1号」も購入されるケースも少なくなく新たなオーダーまで発生したという。このゲッタードラゴンの「変身セット」によって、シリーズ終了の機運が漂っていた「変身サイボーグ1号」のラインは首の皮一枚でつながることになる。

 このゲッタードラゴンが好評だったのは、「変身サイボーグ1号」の「サイボーグセット」を使えば、ポピーの「ジャンボマシンダー」のセールスポイントである武器の付け替え遊びが手軽に楽しめたこともあった。そもそも「ジャンボマシンダー」の「ひみつ新兵器」自体が「サイボーグ1号」のフォロワーであったわけであるが、皮肉なことに「ジャンボマシンダー」のヒットによって、そのプレイバリューが「変身サイボーグ1号」にフィードバックされたのだ。「ジャンマシンダー」の「ひみつ新兵器」ひとつの値段より、「サイボーグセット(注:変身サイボーグ用の武器セット)」の方が安く、最低でも武器が5個ついてくる。わずかな金額で「ジャンボマシンダー」の遊びが出来てしまうのだ。武器の付け替えで自分がロボットを作る博士になった気分が味わえるわけである。この価格差は地方においては絶対的で、本体、アウトフィット、武器を買っても「ジャンボマシンダー」を一体買うよりも安い。「ミクロマン」と比べれば「変身サイボーグ1号」は高いおもちゃであったが、「ジャンボマシンダー」と比べれば安い商品となったのだ。しかも「超合金」より大きく、自由にポーズが取れる。またこの「変身セット」のセールスプロモーションは当時のタカラが多く出稿していた秋田書店の「週刊少年チャンピオン」の表4広告、講談社の「月刊テレビマガジン」でのカラー広告と記事ページを中心に展開され、その中には無重力銃やカッタードリルを装着したゲッタードラゴンの写真が使われている。講談社系の雑誌に放映終了後、しかもわずか数ヶ月とはいえ、ゲッターが掲載されたことは事件ともいえた。そして秋田書店の「冒険王」では石川賢による『ゲッターロボG 戦え!ゲッタードラゴン』のタイトルで新連載がスタート。物語は、ウザーラ編の続編となっており、百鬼帝国の残党と恐竜帝国の残党が操る百鬼ザウルスとゲッターチームの戦いを描くというもの。新たな敵の登場に新キャラである来栖丈(くるす・じょう)が、ゲッターの強化武器を持って駆け付け、重傷を負った流竜馬の代わりにゲッターロボに乗って戦うというもの。その戦闘シーンではナバロン砲から発射される「サイボーグセット」由来の武器を装着して戦うゲッタードラゴンの活躍が描かれる。最終回では傷が癒えた竜馬がゲッター1で参戦。ゲッタードラゴンと夢の競演を果たしている。また敵側の百鬼ザウルスもどこか怪人セット(注:変身サイボーグの敵として発売されたキングワルダー1世のコスチュームセット)を思わせるスタイルだったり、両腕にワルダーの武器や昆虫の手足、スネークハンドといいた武器を装備していたりと、サイボーグ1号が好きな子供たちにとってはたまらない展開となっていた。本作は永らく単行本に収録されず、幻のゲッター漫画といわれていたが、近年ようやく学年誌版とともに完全な形で収録されている。漫画連載に加えて全国で展開する再放送の効果は絶大で当時の業界誌のタカラの広告には「タカラのゲッターロボGはまだまだ現役!人気爆発中です」というコピーとともに再放送が始まる地域の告知がおこなわれている。再放送と雑誌展開によって子どもの間では『ゲッターロボG』が現役である空気が醸成されていたのだ。こうした放映終了後のキャラクターをコンテンツとして再利用する手法は同時期に「小学三年生」誌上で連載されていた内山まもるの『ザ・ウルトラマン』などが存在するが、商品主導で動いた企画ということでも『戦え!ゲッタードラゴン』は画期的であり、後の『マシンザウラー』へ連なる礎を築くこととなったことは論を待つたない。また、この年の5月に新しい児童雑誌である「てれびくん」が創刊。その新連載として永井豪による『キングボンバ』がスタート。「てれびくん」1976年11月号の扉には「キングボンバのおもちゃがでるぞ!」と銘打って試作の写真が掲載されている。当時のタカラの流通向け資料ではこの『キングボンバ』の商品化もアナウンスされてていた。しかし、残念ながら『キングボンバ』の商品化は実現することはなかった。そして『ゲッターロボG』に続く変身セットとして『鋼鉄ジーグ』の後番組である『マグネロボガ・キーン』の商品化も決定する。



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