-6-■1978年 ヤングポーズの飛翔

 キャラクター玩具のブームは1977年のスーパーカーブームによりじわじわと浸食されていた。好調ではあった「サイボーグロボ バラタック」もどうにかこうにか売り抜けることができたのが実情で、各社のロボット物商材は大きくそのシェアを落としていた。そんな中で1977年の中頃より『宇宙戦艦ヤマト』の再評価に端を発するアニメブームが勃興。1978年の5月に「月刊アニメージュ」が創刊されるとそのブームはカルチャーとして大きく定着するようになる。このことが「変身サイボーグ1号」にとって思わぬ追い風となる。当時タカラは「宇宙海賊キャプテンハーロック」を商品化していたが、その人気はメインターゲットである小学生より上の世代であった。大々的に売り出してはみたものの視聴者と購買層が微妙に合致していないという状態が露見してしまう。タカラはそこで急遽、ヤング向けの商材の開発をおこなう大英断を下し、プロジェクトチームを立ち上げる。
―ハーロックはウチとしても力を入れた作品で「無重力人形 Zマン55」という新しいラインを打ち出したんだけど、フタを開けて見るとどうもこちらが想定したより上の層に受けているらしいことが分かったんです。そうこうしているうちにアニメージュさんが創刊されて。ウチの開発とか営業の若いのは大体買ってる(笑)。そういう奴らに聞いてみたらクネクネ人形じゃないちゃんとしたハーロックが欲しいっていうんですよ。当初は、そんなマニア向けの商売なんて成立しないと一笑していたんですが、アニメ会社ともつきあいが深い上司が「虫プロ時代の仲間からもそんなこと聞いたぞ。イケるかもしれないな」とつぶやきだしまして。江古田の方の大学生のサークルとか呼んでヒアリングなんかもしてみました。そしたら意外に男性よりも女性の方が食いつきがいんです。そこで、女玩のドール「わたるくん」みたいなものかと聞いたら違うというんです。がっちりした男性のお人形が欲しいと(笑)。もう目からウロコでしたね。で、大至急ヤマトの本やアニメージュさんの部数とか調べまして。これはまだ未知のマーケットが埋まってるかもしれないと。バンダイさんのヤマトのプラモデルも絶好調でしたからね。おそるおそるトップに話を持っていったのですけど「合金ロボットと着せ替え人形ならばうちがやるべきは着せ替え人形でしょう!」といった趣旨のことを言われまして。トップがそういったなら仕方がないと(笑)。でもどこかマニア向け商売には懐疑的で、開発側はそれよりも超合金に対抗できるキャラクターを作るべきではないかという気運の方が強かったです。まぁ、プロジェクトチームを作ったといっても各部署からマニア気質の人間を集めただけだったんですけどね(笑)。もっともハーロックのお人形がうまくいかなくても、それと同時に『スター・ウォーズ』の商品化も控えていたので、それも併せて商品化してしまえばよいかということになりました―
 プロジェクトチームはヤング層向けの『宇宙海賊キャプテンハーロック』の人形商品の開発に取り組む。ミーティングは通常業務の終了後に食堂などでおこなわれていた。その存在はプロジェクトチームというよりはサークル活動のようであったという。その結果、素体ボディはすらりとした八頭身ボディでアニメキャラの再現に適しているということで「アンドロイドA」の設計を流用・改修して新規に作成。元々タカラは女児向け着せ替え人形の着せ替えドレスのノウハウが蓄積されていたことも功を奏した。「宇宙海賊キャプテン・ハーロック ヤングポーズ」と銘打たれたシリーズでは、「ハーロック」「台羽正」」有紀螢」の3体が商品化される。特に有紀螢は完全新規のアイテムとなっており、以後のタカラの女性素体のベースともなっている。そして「ヤングポーズ」ラインの第2弾して『野球狂の詩』から水原勇気も商品化。東京メッツのユニフォームと、普段着の2アイテムが発売された。『野球狂の詩』は、1977年に単発のテレビスペシャルとして放送されたが、これが好評を博していたために5月から月一回のレギュラーシリーズとして放送が決定したことを受けての商品化であった(その後11月より週一回の放送となる)。「ヤングポーズ」のラインの目玉として、この年の一番の話題作である『スター・ウォーズ』も商品化。タカラはケナーの輸入アイテムに加え、独自開発の商品群も発売しており、「ヤングポーズ」のブランドで「ルーク・スカイウォーカー」「ハン・ソロ」「レイア姫」「ダース・ベイダー」「C3PO」「ストームトルーパー」を発売している。特に「ダースベイダー」はルーカスのお気に入りで、後に改造されて『スターウォーズ・ホリデー・スペシャル』のプロップでも使われたことでも知られている。
―おもちゃの世界でヤングアダルトをターゲットにしたという意味では「ヤングポーズ」は、すごく感触がありましたね。アニメージュさんで読者プレゼントで提供したら、始まって以来の応募だったそうです。ハーロックに関しては、数的にはビックリするほどは売れなかったんですが、単価が高めだったので最終的には全然悪くない数字だったのを覚えています。ただ、マニア向けの商品ということで社内的に風当たりが強かったのですが、フジテレビさんが『野球狂の詩』を月一とはいえレギュラー放送するという話を聞きつけまして、「ヤングポーズ」の購買層と合致するんじゃないかと思って商品化権を取りに行ったんですよ。少年マガジンでも連載されていましたし、ハーロックよりは野球の方が一般受けするかなぁというのもありまして(笑)。『スター・ウォーズ』はヒットするのはわかってましたけど、映画の商品ということに関して営業も問屋筋も不安は抱いていましたから誰もが知ってる作品は抑えておきたかったんです。『スター・ウォーズ』の「ヤングポーズ」は出来がよいということで大変評判を呼びまして、なんでもルーカスが感動して買って帰ったという話もありましたが、その頃はまだインターネットも海外のニュースもあまり入ってこない状態で、かなり後になってその話(ルーカスが絶賛)を知りましたね。ただ、やたらと海外からの問い合わせが多かったのは覚えています。ウチは契約上海外には商品を出荷できなかったので、困ったなぁと(苦笑)―
 余談ではあるが、当初、「ヤングポーズ」のシリーズでは『恐竜大戦争アイゼンボーグ』の商品化の予定もあったという。本編の第20話から登場するアイゼンボーは「変身セット」での発売を想定してタカラに売り込みがあったという。結果的に「ヤングポーズ」の路線には合わないのと1977年のラインナップで実写変身ヒーローは商売にならないとの判断から見送る形になっている。続いて後番組の『恐竜戦隊コセイドン』もコセイダーの商品化で売り込みがあった、その時には円谷からは『ウルトラマン』の商品化、つまりウルトラ兄弟を含む円谷ヒーロの「変身セット」の商品化も併せて打診されたという。折からの懐かし漫画ブーム、第三期怪獣ブームが見え始めてた時期であったこともあり、タカラは「ヤングポーズ」よりもターゲットを下に想定した「名作ヒーロースーパーアクション」の商品名で往年のテレビキャラクターを商品化を決定。ウルトラ以外のヒーローの他、『月光仮面』や『仮面ライダー』などの商品化も想定していたという。
 しかし、この「名作ヒーロースーパーアクション」は発売されることはなかった。翌年に放送する新しいTVシリーズまで見据えたポピーが「ウルトラマン」と「ウルトラ怪獣」の商品化権を独占したのだ。この時期のポピーのとったマーケティング戦略はタカラが『ゲッターロボG』でおこなった再放送にあわせて新製品を発売するというものであったことはいうまでもない。それを大規模に行うことで第三次怪獣ブームを牽引することになる。ポピーの痛烈な意趣返しでもあった。また、それ以外のキャラクターもポピーが1976年の「超合金名作シリーズ」で各版権元と太いパイプを構築していたことも、「名作ヒーロースーパーアクション」を進める上で大きなハードルとなっており、結果的に核となるウルトラマンシリーズの商品化が獲得できなかったことで企画はとん挫してしまう。

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