星図から観る日本史〜Chapter1;古代の始源図④
皆さん、こんにちは・こんばんは・おはようございます。「見たかな?観たよ!」の中の人、ひろ-macrobiworldです。
夏休み企画として新しい連載を始め、はやChapter1の最終回。
国家のバースチャート(出生図)のことを始源図といいますが、歴代の始源図から日本の歴史を観て、それを踏まえて未来の考察もしてみようと言うのがこの連載のテーマとなっています。
なるべく無料で読める部分も作ろうと思っていますが、回によって無料部分のボリュームに差がありますが、その点は予めご了承くださいませ。
(全体的にもボリュームの差が出ております…。前回短かった分今回は超長文記事になっていますので、目次機能をご利用の上、適宜分割して読んで頂けると助かります。)
なお使用するホロスコープ作成その他の前提条件については連載第1回目の「はじめに」をご参照くださいませ。
⭐️養老律令施行
冥王星をフォーカスとしたヨッドは、藤原氏の権力を背景に祭祀王としての女帝の権威の復活を意味しているように思います。
実際、藤原不比等亡き後棚上げ状態になっていた養老律令を、藤原仲麻呂が孝謙天皇(後の称徳天皇)に勅を発してもらって施行したのが養老律令だそうですから、その通りなのでしょう。
またこれが平安時代の女流文学の誕生や、女文字と言われる平仮名の誕生、短歌など和歌の発展に繋がっていった様です。
つまり平安時代に発展した「国風文化」は、女性的な文化だと言うことです。そうした雅な文化が華開いたことが平和な社会を生むことに一役買っていた様です。
その一方で暴走気味だった男性の権威や権力に一定の歯止めをかけ、義務を負わせる形にもなっていますね。
大宝律令や平城遷都図の示す方向性とはガラッと趣きが変わって、女性性が復活した時代の到来を意味している様です。
⭐️平安遷都
が、平安遷都後は良くも悪くもそうした流れが固定化されることで、時間の経過と共に腐敗を招くことになった様です。
女性性は陰陽で言うと陰で受動的なので、変化はゆっくりですし、外に向かうよりも内に向かうエネルギーの方が強くなりますから、目の前にあるものを育てたり、工夫してより良いものに改良するのは得意(国風文化の発展)でも、他地域との交流や兼ね合い、新しい物を積極的に取り入れていく様な、新規開拓の精神は余りありません。
ホロスコープチャートにダビデの星「ヘキサグラム」が現れた時は、良くも悪くも「安定し過ぎて」物事が動かない事を示しています。
要は「滞る水は腐る」と言うことなのでしょう。
キロンが絡んでいますから、失敗を経験しトラウマを抱えた後、そのトラウマを克服した時に大きな発展が得られることを意味しています。
藤原氏は古代日本の自民党か“宗主国サマ”か?
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」
とは藤原道長が詠んだとされる歌ですが、
女性天皇反対の理由として「道鏡事件」のことがよく挙げられます。
道鏡事件は平安遷都前に起きた事件ですが、今の時代に示唆を与えている事件の様にも思います。
孝謙天皇が一度譲位して、藤原仲麻呂の没後に称徳天皇として皇位に復帰しているのですが、それまでの間に称徳天皇とは道教を巡って藤原仲麻呂や淳仁天皇と軋轢が生じています。
ただ、上記の様な背景…側近や親類は自分の利権や権力のことばかり気にしていて、相談しようにも信頼出来ないからしたくない。そんな風に感じていたとしてもおかしくは無い様に思うのです。
で、翻って見て現代はどうか。
ーーー例えて言うなら今の自民党。保身や利権のことばかりで、国民の方を向いていない。---
その様は、もしかしたら藤原氏も一緒だったりして…⁈
そしてそんなのは皇室や皇族の本来あるべき姿からかけ離れているし、当時の称徳天皇にしてみたら、そう言う状況を変えたくて、物部系の弓削氏の出の僧侶の道鏡ならそう言う利権や私欲では無く、仏法の下で国や民の為に動いてくれるのでは…と言う淡い期待があった可能性は否定出来ないと思うのですが、如何でしょうか?
ましてや称徳天皇は孝謙天皇時代に養老律令施行の勅を、藤原仲麻呂に出させられています。
そのことひとつとっても、称徳天皇にはきっと何か思うところがあったのでは無いでしょうか。
例えば、昨今は自民党(藤原氏と同ポジ?)の腐敗ぶりに呆れて政権交代を望みつつも、旧民主党系への政権交代を危惧する風潮がありますよね。
でも、そう言う失敗を経験しているから民主党政権(道教と同ポジ?)の愚は懲り懲りと言えるのですよね?
そうした経験をする以前には、それ=政権交代してみる=が正しい、野党に政権をやらせてみるしかないと思う人が殆どだったわけですよ。
そうでなければ腐敗は一掃できない。
当時はそう思われていた訳です。
色々問題はあったけれど、民主党政権で総務大臣も務めた原口一博議員は当時のことを、「政権を取ったのに自分たちでは何も決められない。自分たちの知らないところで色んなことが決められて行くのを知って愕然とした」と、リズ・トラス元英国首相がCPACで話したのと同じようなことを話しています。
英国の「ディープステート」が私の計画を妨害した、とリズ・トラスは米国の極右サミットに語る | CPAC | ガーディアン
今でこそ日本は米の属国状態と言うのは広く認識されていますが、当時はそうではなかった。政権交代があったから、その実態が分かってきたと言う側面もあるのでは無いでしょうか?
道鏡事件の時と違うのは、
普段の時事エッセイでも述べていることですが、政権政党を育てるのは国民の役割で、その為には政治にある程度は関心を持ち、最低限の義務として、選挙権をちゃんと行使して選挙で投票することが求められていると言う点です。
最悪の状態になった時にやっと気付いて怒って、懲罰的な投票行動をするようでは、いつまで経っても政治は育ちませんし、変わらないでしょう。
そう言う懲罰的投票行動は、普段子育てに関心が無く自分は一切関わらずに子供を妻任せにしているくせに、子供が公に問題を起こした時に妻のせいにしてブチ切れる夫と何処が違うんですか?って言う話。
妻(母親)、特に専業主婦は自分の部下だとでも思っているんでしょうか?だとしたら生活費を家に入れるのとは別枠で、24時間の時間給&残業手当を奥さんに支払えって話ですよね。
この子がこの世に生まれた製造責任の半分はアンタ(夫)にあるんやで?って言う話ですよ。
(西洋占星術的には法律的な結婚は契約を交わしたパートナーであり、部下ではなく共同事業者や取引相手に近い。)
そして例えその子が問題児であったとしても、家の中が乱れることなく、ごく普通に当たり前の生活を送れているのであれば、それは奥さんがちゃんと主婦業(家事労働)してくれてるからだよ…と。
自分は会社で苦労して働いているのに、専業主婦は遊んで暮らしてる、なんて「はあっ?」って思う様なこと平気で言う人が、まだまだ多いみたいですからね。
(特に現代は発達障害やそのグレーゾーンと呼ばれる人も多いし、そう言う人は得てしてマルチタスクが苦手な傾向があります。
そして一般的に、男性は仕事を理由にマルチタスクから逃げられるけど、女性は仕事と主婦業と子育てor介護のマルチタスクから逃げられません。)
何度も言いますが男女一対で陰陽の調和が取れるんです。どちらかに偏重したりどちらかが欠けたりしたら、物事は安定しません。
例え男は仕事・女は家事と言う古臭い考えがあったとしても、子育ては両性の仕事です。男親がいなければ子供に社会性は身に付きませんし、女親がいなければ生活能力が身に付きません。子育てには、男女それぞれに役割があるのです。(なので片親の場合は実家の親や親戚、学校の先生など不在の性を補ってくれる存在が必要になります。)
古風な男女役割分担の思想があったとしても、子育ては両性で役割分担して行うものであって、片方の性だけで行えるものではないと言うことですね。
この様に政治には子育てと同様に、男女共に常に関わりあい見守っていくことが必要なんです。
が、今の日本の国民の意識はどうなっているでしょうか?とどのつまりはそう言う問題だと言うことです。
目覚めるというのは、そのことに気付いて行動出来るようになること。兎にも角にもそれこそが日本を取り戻す為の第一歩と言うわけです。(ついでに言えばトラウマの克服も、ね。)
無料公開はここまでです。
ここでお別れの皆さまには、お付き合い頂きましてありがとうございました。
執筆中にたまたまYouTubeでお勧めに上がってきた橋本治さんの生前の映像。似た様な視点で観て考えていらっしゃったことが分かり、大変興味深かったです。
気になる方は是非ご覧になってみて下さい。
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