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幕末ニッポン、平和ボケ事情

皆さん、こんにちは・こんばんは・おはようございます。「見たかな?観たよ!」の中の人、ひろ-macrobiworldです。

今回も前回エッセイに引き続き、日本の安全保障に関連する話題を取り上げます。

本題に入る前に、まずは日本の現状から。


自衛隊の装備が不足


これまでメディアではあまり広くは報道されていませんが、自衛隊の装備が不足していることを、岸元防衛相や岸田総理が国会答弁で認めています。(1)

しかし日本は、弾薬などの武器の支援こそないものの、自衛隊員の制服(防弾チョッキ含む)やドローンなど、最新の装備をウクライナ支援の為に贈ってしまっています。(2)

つまり、コロナ初期に於けるマスクや防護服と同じ愚を岸田政権は犯したわけです。マスクや防護服の時に、あれだけ国民からの非難があったにも関わらず、同じようなことを繰り返していたのです。

マスクは国民の手作りや、メーカーの工場の国内回帰などで乗り切りましたが、自衛隊の装備はそう簡単に回復できるものではありません。

そもそも自衛隊のために組まれる予算、つまり防衛費が少な過ぎるのです。(例えば、武器とは直接関係無さそうな制服等を新しく支給するような場合でも、予算が足りないので、単年度では自衛隊員全員には支給し切れず、全員に行き渡るには数年かかるのだそうです。)

ロシアのウクライナ侵攻のお陰で目が覚めた国民も多いようですが、相変わらず“反日野党”とその支持者からの「9条神話」は根強く、防衛費増額に反対する輩が多いのも事実です。

平和ボケ日本もここに極まれりと言った感がありますが、実は調べてみると幕末の日本もどうやら似たような状況があったらしい…と言うことが分かりました。

フェートン号事件


義務教育過程の歴史の教科書では詳細には触れられていないと思いますが(高校の歴史教科書にはある様ですが日本史や世界史は選択科目になっていますね。)、幕末、実はペリーの黒船来航以前にも開国を求めて多くの異国の船が日本にやって来ていて、幾つか事件も起きていました。そんな事件のひとつがフェートン号事件です。

フェートン号事件とは

1808年(文化5)8月,イギリス船フェートンPhaeton号が長崎で起こした事件。同船は,オランダ国旗を掲げて入港し,欺かれて出向いた長崎奉行所役人,通詞,オランダ商館員を襲って商館員2人を捕らえ,さらにボートを下ろして長崎港内を乗り回し,捕らえたオランダ人を人質として水と食料を要求し,結局,水と野菜と肉を引換えに人質を釈放して長崎から退去した。フランス革命後,オランダ共和国はフランス軍に侵入されてバタビア共和国となり,フランスと同盟を結んでイギリスと敵対関係に入ったため,イギリスは東アジアにおけるオランダの属領とその商権を奪うため活動していた。
世界大百科事典より引用




フランス革命〜ナポレオン戦争は、DSの代名詞とも言えるロスチャイルド家が国際金融資本として台頭するきっかけとなりましたが、そのことが日本の開国や明治維新にも影響を及ぼしていました。

そういう意味では、このフェートン号事件に関わる世界情勢は、現代の世界情勢を見る上で、何かヒントを与えてくれるかもしれません。



因みにこのフェートン号事件をきっかけに江戸幕府は1825年に異国船打払令を出していますが、事件からは17年も経っており、その後1853年のペリー来航までの間、外国からの開国&貿易の要請を頑なに拒否し続けるのですが、実はその裏で、事件当時のこの様な話も伝わっています。

太平の世が長過ぎて、〜中略〜その年の長崎警衛当番であった佐賀藩が太平に慣れ経費削減のため守備兵を無断で減らしており、長崎には本来の駐在兵力の10分の1ほどのわずか100名程度しか在番していないことが判明する。(長崎奉行の)松平康英は急遽、薩摩藩、熊本藩、久留米藩、大村藩など九州諸藩に応援の出兵を求めた。
Wikipediaより引用


つまりフェートン号事件を現代で例えるならば、

中国海警局の船が台湾の漁船を装って尖閣諸島周辺に出没し、侵入した日本の領海内で偽装を解いて中国の国旗を掲げ日本の漁船に危害を加えたようなものです。

ただし2022年の現在、尖閣諸島の現状はこれよりも深刻な事態になっており、中国海警局の船が尖閣諸島の海に常駐しているような状況になっています。

自衛隊装備の件も含めてこういう大事なことを報道せずに、モリカケサクラや統一協会のことばかり取り上げ、国会を機能不全に陥らせ、日本を守る為の政策や立法を妨害するような報道しかしない反日メディアには困ったものです


そうした状況に当番が回って来ていた鍋島藩こと肥前佐賀藩は、勝手に兵力の削減をしていたが為に対応できなかったから、長崎奉行が他の藩に応援を頼んだと言うのです。
しかも、応援に出た大村藩が現場に到着した時には、フェートン号はすでに長崎を去った後でした。

これは現代に置き換えて考えるなら、警察組織の海保では対応出来ず、自衛隊に応援を頼もうにも法的整備が甘く、自衛隊の装備や兵力も足りないので、米軍、豪軍、印軍に応援を頼んだが、彼らが到着した時には中国海警局の船は逃げた後だった…と言うのと同じでしょう。

中国海警局の船が尖閣諸島にしょっちゅう現れているにも関わらず、日本の漁船を護衛するくらいで他はたいしたことが出来ていない海上保安庁。

海警局の船は軍艦仕様なので、軍ではなく警察組織である海保の船では対応出来ない事態を想定し、自衛隊との連携がスムーズにできるよう自衛隊法の改正が求められていましたが、担当大臣のいる公明党の腰が重く、全く進んでいないようです。

海上保安庁は国土交通省の管轄で、大臣は長年公明党専任のポストになっています。公明党は現代の鍋島藩(肥前佐賀藩)なのでしょうか?

↑今年10月の日テレの報道

フェートン号事件が与えた影響


結局この事が原因で
〉長崎奉行の松平康英は切腹。〉
〉勝手に兵力を減らしていた鍋島藩家老等数人も責任を取って切腹した。さらに幕府は、鍋島藩が長崎警備の任を怠っていたとして、11月には藩主鍋島斉直に100日の閉門を命じたと言う。〉

と、いまの感覚で言うとかなり重い処分を受けています。

現代に置き換え現実的に考えれば、実際に事が起きれば国交相の更迭は勿論のこと、国交相を専任ポストとして与えられている公明党の幹部も辞任で、これらの人たちは全て外患誘致罪(もしくは〜援助罪)に問われる可能性がある…と言ったら良いでしょうか?


また江戸幕府は、この後、異国船打払令を出していますね。(ただし、この頑なに開国を拒否する態度が、結果的に江戸幕府の寿命を縮めることに繋がって行ったようにも思います。)

対する現在の公明党は、安全保障面で明らかに不十分な対応(時として法整備の足を引っ張り、日本の安全保障を脅かす)しかしていないのにも関わらずお咎めが無いばかりか、相変わらずポストを貰い続けています。


因みに鍋島藩はその後近代化に努め、藩の改革を行い、明治維新の際は薩長連合軍と共に尊皇攘夷側で目覚ましい活躍をすることになるのだそうです。

あれだけ頑なに開国を拒否していた幕府が開国を決めた背景には、アヘン戦争の影響もあったと言われていますが、フェートン号事件に見られる様に、日本も世界の動きから逃れることができなかったことは歴史が証明しています。

明治維新は日本がグローバリズムに飲み込まれ、欧米DSの駒になることを意味していましたが、
その一方で他のアジア諸国と異なり、日本の植民地化を回避し主権を護ることには辛くも成功しています。


ところが日本の現政権は(日本だけのことでは無いけれど)国や国民の方を見ずに、いわゆる米DSや中国の顔色ばかりを窺っていて、彼らの言いなりになっているように見えます。

この違いが、現状に対する危機感の違いを如実に反映している様にも思えますね。

つまり、現代の日本の方が幕末の日本よりも、DSや他国から植民地化される危険度が数段高いかも知れないと言うことです。

幕末の日本人に出来ることが、なぜ現代の日本人に出来ないのか?

まずは、そこから考えてみるべきでしょう。


最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございます。


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次回も貴方様に会えることを期待しております。





【脚注・参考】

(1)https://twitter.com/tamakiyuichiro/status/1578254126794014721?s=46&t=

(2) 防衛省・自衛隊:防衛大臣臨時記者会見|令和4年3月4日(金)17:42~17:52

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