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夏目金之助からの序

私はあなたがたくさんの子供を育てたり、家族のごはんなどを用意したり、家事の暇を偸んで『神様の大列挙』をとうとうおしまいまで書き上げた忍耐と努力に感服しています。私は男で子供の面倒も見ず、飯も上げ膳据え膳で執筆を専業に致しておりますが、それでもあなたのような偉業を遂げるにはたやすいことではありません。あなたは夫、子供のみならず、親戚一同の入り乱れる本家での妻の役目を果たしながら、このぎっしり文字の詰まった執筆を成就なさった。その仕業に私は感服せざるを得ません。
この大偉業の序文に私の文章が入用だとの仰せは謹んで承りました。しかし、私は少しでも自由な時間があると横になってしまう怠惰な人間なのであります。あなたがお訳しになったギリシャやローマの神話については特に統計的に読み上げたわけでもなく、ところどころつまみ食いでうろ覚えの状況であります。
あなたがはるか昔の膨大な古典を紐解いたのには、何か大義がおありだったのでしょうか?人生に切実な文学には遠い昔の故事や故典は今ではあまり重視されていないようにも見えます。それはあなたもご承知でしょう。それでいてこんな夢のようなものに注力したのは、おそらくあまりに切実な人生に耐えられないで、古い昔の、あったような、なかったような物語に、逃げ込みたかったのではなかったですか?それならば、私も同感です。
私は自分で小説を書くとそのあと、心持がわるい。それで呑気な支那の詩などを読んで埋め合わせをつけています。あるいは絵を描いたりして心を慰めたりもします。そういう時は、やはり仙人だとか坊主だとか山水などが天然自然題目になります。これもあなたの偉業のモチベーションと同じになりますか。弱い神経衰弱症の人間がむやみにあなたの心を好き勝手に推測して、いい加減なことを言ってすみません。
最後に神様の名前の発音についてちょっと申し上げます。あなたの発音法は大部分大陸読方(コンチネンタル・メソッド)を用いられたようですが、日本で言い慣らされたバツカスとかビーナスとかいうのはイギリス読みにされたと見えますからその辺はちょっと読者に注意しておいてやらないとわるいだろうと思います。
それからラテン読みにしてもクオンティティつけて発音しないで、のべつにローマ字綴りの読み方みたようにやったのがあるなら、それもついでに断っておいておやんなさい。

こういう序文が私にもほしい。

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