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世代交代に拍車をかけたSG初優勝の連続 / 伝説の航跡・百物語

前回の最後に相撲のことを少し書いたら、その後の展開は更にドラマチックだった。千秋楽前日に深刻な怪我を負った尊富士が、最後の一番も勝ち星で締めて、新入幕で優勝の快挙を成し遂げた。長い大相撲の歴史でも110年ぶりの出来事だった。
記録よりも記憶に残る力士になりたい――。本人の言葉に違わぬ優勝劇だったが、記録を見ても稀有なもの。これをボートレースに当てはめるのは、長年の性である。SG初出場で優勝したケースは、黎明期を別にすれば、80年・89年・05年総理大臣杯の中本逸郎、高橋博文、笠原亮と、86年ダービーにおける嶋岡孝の名前が上げられる。110年ぶりと比べるとまあまああるか。
優勝縛りで話を繋げれば、デビュー節に優勝した選手がいた。これはかなりのレア物だ。登録2053号の岡村正巳という人が、66年5月に地元の下関で記録している。選手生活を通してはV20、記念でバリバリ活躍することもなかったが、唯一の記録の持ち主として名を残す。
昭和~平成前期の強豪では、新井敏司さんの記念初優勝(77年の桐生地区選)が、パーフェクトのおまけ付きだった。現役では関浩哉のデビュー初優勝が、いきなりヤングダービーだったことが思い出される。もちろん今村豊さんの史上最短、デビュー1年2か月の記念優勝とか、服部幸男の史上最年少、SG初優出のダービー制覇とか、有名な「初」にまつわる優勝もある。大相撲の110年ぶりはさすがに重い歳月だが、ボートレースとて歴史を重ね、それなりに記録をちりばめている。
その尊富士だが、5月場所は怪我が癒えず全休となった。十両に落ちる可能性も高い。捲土重来を期すことになるが、彼の他にも大の里、豪ノ山、熱海富士などなど、新勢力が台頭してきた。横綱にハッキリ翳りが見え、大関も安定感を欠く現状なら、初優勝が続いてもおかしくない。※5月26日に大の里が初優勝
ボートレースにもあったなと思う。最近のSG競走では、昨年が3選手、一昨年は4選手が初優勝だった。その前2、3年はベテランの逆襲が目についたが、かつてこのせめぎ合いが、一気に崩れた時期があった。
【1998年】
*MB記念  長岡茂一(33歳)
*ダービー  濱野谷憲吾(24歳)
*チャレンジ 江口晃生(33歳)
<GPシリーズ 中道善博>
*グランプリ 太田和美(25歳)

【1999年】
*総理大臣杯 今垣光太郎(29歳)
*笹川賞   濱村芳宏(32歳)
*グラチャン 大嶋一也(41歳)
*オーシャン 田頭実(32歳)
*MB記念  山本浩次(26歳)
*ダービー   山室展弘(38歳)

持ちペラ制、デカペラ、モンキーターン…。90年代は既存勢力の優位性を覆し、新勢力の躍進を促す環境が広がった。その中から植木通彦、服部幸男が現れ、上瀧和則や松井繁が後を追った。賞金王メンバーは、97年に今村豊が最古参になった。前年のメンバーには安岐真人、中道善博、古川文雄、野中和夫、林貢、高山秀則、吉田稔と、今村豊より古い1千番台、2千番台の選手が7名もいたのに、この世代が一気に消えた。一方で山崎智也がダービーを取ったのも同年である。
そして1998年。この年のモーターボート記念から翌年のダービーまで、SG初優勝が続くことになる。前段は先立つ総理大臣杯、笹川賞、グラチャン、オーシャンカップで、優勝した西島義則、山崎智也、上瀧和則、松井繁は、いずれも直近2年に初優勝を飾った選手の2回目だ。世代交代の波は更に勢いを増し、より多くの才能を引き上げた。
実際、前述の顔触れを見ると、山崎智也のようなシンデレラストーリーというより、それなりに記念戦線で力を蓄え、SG競走で辛酸を嘗めてきた選手が多い。そのキャリアも様々だ。口火を切ったのは長岡茂一だったが、彼は訓練期間中に大怪我をして、デビューが1期遅れた人である。新鋭王座連覇の勲章はあったが、SGではなかなか結果が出せないでいた。

第44回モーターボート記念競走

多摩川(優勝戦・98年8月30日)
①岡本 慎治(山口)2224611
②大賀 広幸(山口)213211
③松田 雅文(福岡)124111
④長岡 茂一(東京)3114152
⑤熊谷 直樹(北海道)5312312
⑥三嶌 誠司(香川)1425112
長岡にとっては初めて乗るSGの優勝戦だった。といってもここまでの記念タイトルは7個。デビュー4年目のダービー(住之江)では、早々SGの舞台を踏んでいる。同期の亀本勇樹は「俺らの世代の一番星」と言ったもの。盟友と言える熊谷直樹も「俺より全然上だった」と一目置く存在だった。
SGではツキもなかった。6年前のモーターボート記念では、準優まくり快勝も束の間、待機行動違反で優勝戦の道を断たれた。代わりに繰り上がったのが、地元のベテラン選手だったものだから、余計に理不尽な思いに囚われた。時代の波に乗った後輩選手が頂点へ駆け抜けていった。前年には最も近しい熊谷が先にSGタイトルに到達した。
だが、このシリーズは様相が違った。長岡にとっては地元中の地元というべき多摩川の開催で、2連対率48%の実績機を引き当てた。抜きとツケマイで連勝した2日目に、競りアシの良さとターンのかかりを確認できた。準優は2艇Fを潜り抜けた。インの松田雅文と5コース発進の長岡のワンツーで、2コースと6コースがフライングのスリットライン。松田と長岡はコンマ00で辛くも残した。
危ない、危ない…このときの長岡は、シリーズ後に休みを控えるF持ちだった。2本目となると当年は終わって、来期の出走回数にも影響が及んだ。地元でSG初優出を叶えるのとは天国と地獄。いや、本当の天国は翌日に自らの手で掴み取った。
ここでSGタイトルを持っていたのが松田と熊谷。2・4・6号艇は初優出というメンバーになった。しかも1・2号艇の山口支部、4・5号艇の東京支部の二人は、プロペラグループも同じの盟友関係。それがまた勝負事の皮肉を生んで明暗を分けた。雨の中の決戦だった。
岡本慎治がインを確保し、松田がこれに寄り付いた。3コースになった大賀広幸が大きく奥に引っ張った。外枠勢は枠なり、2対4の進入になった。ならば大賀は行くしかない。スリット手前で松田を飲み込んだ。インの岡本が合わせて回ろうとしたその直後、ターンマークに舳先が触れた。
操作の効かなくなった山口両者が吹っ飛んだ。大賀が転覆、岡本は妨害。長岡が松田の頭を叩いて差し抜けた。熊谷は内を通って差し続いた。早々と事故ランプが灯った。これを見た長岡は2マークを回ってVを確信した。熊谷いわく「自分の優勝以外では最高のパターン」東京支部の二人で上位を独占した。皮肉な展開で勝負事の明暗がクッキリ分かれた。
「F休み前にバッチリ稼げました」ヒーローインタビューの最後に頬が緩んだ。長岡に涙はなかったが、この人にこのタイトルがあって、本当に良かったと思う。その後、翌年の賞金王シリーズを優勝し、GⅡ時、GI時、SGになってから同タイトルを制するという珍記録を作るなど、記念タイトルをV14まで伸ばしたが、二千年代以降は頸椎を痛めたのも響き、3個しか増えなかった。
あの日の天気同様、時に大雨に降られた選手人生だった。それでも天性のレースセンスと、真摯なレースの取り組みで、記念レーサーとして長く活躍した。今年引退した長岡茂一さんの輝く1勝である。

第45回全日本選手権競走

福岡(優勝戦・98年10月11日)
①高山 秀則(宮崎)242141
②大嶋 一也(愛知)5131321
③濱野谷憲吾(東京)2323321
④江口 晃生(群馬)2231532
⑤松井  繁(大阪)4231262
⑥高橋 勲(神奈川)2412352
SG初優勝の流れは東京支部のリレーで繋げた。前年の山崎智也に続くスター誕生の物語、濱野谷憲吾の名前がダービーの歴史に記された。
1番人気はエース機に乗る高山秀則で、準優を「百点満点のレース」で勝ち上がってきた。2コース差しで突き抜けたアシは、優勝戦に向けて完璧に仕上がったことを告げていた。しかも絶好枠を得て、勝てば地元で49歳の戴冠となるところだった。
濱野谷は対抗格。準優ではシリーズリーダーの植木通彦を破ってきた。同じ福岡のダービーで、1日2度の転覆を喫したのは2年前のこと。いかにもSG初出場の航跡を残したものだが、それは果敢さの裏返しだった。前年にはダービー、賞金王シリーズと2度の優出。この年はSG皆勤で笹川賞のファイナリストに名前を連ねてきた。
ピット離れで仕掛けてくる大嶋一也に、高山は細心の注意を払ってインをキープした。内枠二人はスンナリ折り合い、江口晃生、松井繁がスローに寄り付いた。濱野谷は同支部の高橋勲を連れてダッシュに引いた。おあつらえ向きにセンターがへこんだ。
思いのほかピット離れが甘かった濱野谷だったが、伸びは一貫して強力だった。中ヘコミの展開も手伝って、結果的に5カドが正解だった。グングン伸ばして内4艇を一掃した。本当に気持ちのいいまくりだった。
「長岡さんからリラックスする方法を教えてもらっていたんですよ」しかも同支部の高橋が差し続いたのだから、最高の結果になった。モーターボート記念に続く東京支部のワンツーが見事に決まった。
 濱野谷はこの年、SG初優勝を記録し、賞金王決定戦に初めて出場し、獲得賞金も初めて1億円に乗せた。以来、彼は現在までに「1億円レーサー」に13回なっている。この回数は松井繁の18回に次ぐもので、植木通彦(11回)、山崎智也、瓜生正義(10回)、今村豊(9回)などのレジェンド達を凌いでいる。
また、この優勝戦には、濱野谷、松井ともうひとり、江口が出場していたが、彼らはA級がA1とA2に分かれた94年11月から現在まで、59期に渡ってA1級を外していない。7月から適用される勝率で、市川哲也がA2級に降格したので、この3人だけになった。
御存知のように濱野谷は、現在90日のF休みに入っている。今期は出走回数不足に陥るおそれ、A1級キープのピンチである。個人的に少し注目している。
話を当時に戻すと、続く第1回チャレンジカップは、ダービーで初めてSG優勝戦に乗った江口が、連続優出→初優勝→賞金王初出場を決めた。その決定戦も3着に健闘したが、頂点に輝いたのは先輩の松井繁を差し置いて、25歳の太田和美だった。SG初優勝がグランプリだったケースは、初期の安岐真人、福永達夫、高山秀則から、この太田、田中信一郎、吉川元浩、中島孝平、茅原悠紀の8件あって、近場の3選手はグランプリ初出場だった。
一方で同時に行われていた賞金王シリーズは、ベテランの中道善博が制している。厳密にいうとSG初優勝の流れは、ここで一旦途切れているのだが、このタイトルは優勝賞金を見ても、選出メンバーを見ても、おそらく選手側の価値基準から見ても、他のSG競走と同等に扱うのははばかられるところがある。名レーサーたる中道さんが、シリーズ戦に回って優勝したのが象徴的だった。実はこの人は、このタイトルがGIだった5年前にも優勝していた。このときはこれに発奮して、翌年の決定戦に勝つというドラマを作ったが、もはや時代は変わっていた。98年の賞金王メンバーは、今村豊が不調だったこともあり、初めてオール3千番台の12選手になった(このパターンは3年間続くことになる)。
明けて1999年。今垣光太郎がブレイクした年で、その総理大臣杯制覇からSG戦線は始まった。笹川賞の濱村芳宏は、メニエール病を克服した人で、グラチャンの大嶋一也は、前年大会が1221F1の成績。見事にリベンジを果たした41歳の栄光だった。オーシャンカップの田頭実も忘れられない。2マークのミラクルターン、長岡茂一とのバトルと、名勝負の要素が詰め込まれた優勝戦だった。天才肌から苦労人まで様々なレーサー像をちりばめて、SG初優勝の流れは続いた。

第45回モーターボート記念競走

児島(優勝戦・99年8月29日)
①山田  豊(京都)5211511
②山本 浩次(岡山)212331
③川崎 智幸(岡山)3332331
④松井  繁(大阪)31)1322
⑤植木 通彦(福岡)2231362
⑥星野 政彦(大阪)331522
カマシ屋。もはや死語かも知れないが、当時はこう呼ばれる選手がいた。山田豊のここまでの進入は5654645コースで、この年度2の記念制覇は、2号艇4コースと1号艇5コース。ダッシュ戦が最も冴えている時期だった。初めて乗ったSG優勝戦でも「普段のレースをする」とカド進入を示唆していた。
従ってイン予想された山本だったが、こちらもSG初優出で「同期の和美に教えてもらって」プロペラを合わせてきたものの、バリバリ噴いているわけではなかった。しかも実績上位の松井と植木が中外枠にいて人気が割れた。2連単1番人気でも10倍以上ついた。
山田は予定通りにコース取りを緩めた。一旦②③④⑥①⑤で並んだものの、すぐに松井と星野が回り直して山本―川崎―山田―植木―松井―星野の2対4。3カドの山田が一瞬出かけたが、そこまでのスタート、それに伸びもなかった。川崎が1マークまでに捕まえて、外に張りながら先マイする山本を差した。
地元の二人でバック並走。山本はまだ終わってはいなかった。二番差しの松井が最内伸びて、2マークで川崎をおっつけた。両者が膨れて差し場が開いた。山本は一気に躍り出た。松井がピタリ追走したが、終始一貫粘り通した。
「地元やから勝てた。よそやったら勝ててないと思います」前年大会の長岡茂一に続く、2年連続の地元でのSG初優勝になった。
「(太田)和美にやっと近づけた、みたいな感じはあります」69期ふたり目のSG優勝者となった。その後に田中信一郎、三嶌誠司、仲口博崇が続き、同期から5人のSGタイトルホルダーが生まれた。これは85期(田村隆信、井口佳典、湯川浩司、丸岡正典、森高一真)と並んで歴代最多の人数だ。
SG初優勝の流れは、次の全日本選手権=ダービーまで続いた。地元優勝から同支部へのリレーは、1年前をなぞっていたが、今度の覇者は異彩を放っていた。

第46回全日本選手権競走

戸田(優勝戦・98年10月11日)
①江口 晃生(群馬)122131
②今垣光太郎(石川)136111
③濱野谷憲吾(東京)613161
④山室 展弘(岡山)4513112
⑤岡本 慎治(山口)211462
⑥倉谷 和信(大阪)3623312
一筋縄でいかないメンバー構成。内枠3人にSGタイトルがあって、機力的にも優位に立っていたが、コース取りのキャリアを積んできたのは外枠勢、戸田は決してインが強くないだけに(当時は尚更)、待機水面の動きが注目された。
岡本が江口の外に寄り付き、倉谷が続いたが、舟を少し流した。そこにスルリと後ろに付けていた山室が入った。今垣と濱野谷は外に出るしかなかった。今垣は5コースもスロー発進、ダービー連覇が懸かる濱野谷は大外に弾き出された。
全艇ゼロ台のスタート合戦になったが、その中で秀逸な立ち回りをしたのが山室だった。岡本の頭を叩いて、素晴らしいスピードで江口の内をエグッた。ここで勝負あった! 今更ながらSG初優勝どころか、初優出が意外なレース内容だった。おまけに岡本が江口を競り落として51期でワンツーを決めた。対照的に濱野谷は「予定外の6コース」、今垣は「レースをした気がしない」SG戦線のニュースターは消化不良の一戦になった。
とはいえ、次のチャレンジカップは、このふたりがワンツーだった。SG初優勝の流れは止まったが、世代交代はより強固なものになった。今垣が年間2冠に向けて快走する後方で、濱野谷が「2着条件」で賞金王に進める安岐真人を、その位置から引きずり落とし、引導を渡した場面が展開された。一気に捕らえた2周1マークの鮮やかな全速ターン、なおも粘ろうとする安岐さんが、遂に力尽きた2周2マークの失速。まざまざと時代の変化を見せつけられたものだ。
そして年末の賞金王決定戦では、松井繁が念願の初制覇を果たした。世代交代のトリを飾るのに相応しい存在だった。明けてミレニアムに突入し、新世紀が近づいていた――。

(文・鍋島ヒロシ)

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