よく注意してください【Sandwiches #16】
土産物屋といえば、派手なキーホルダや、置物や、あるいは現地のお菓子なんかが山積みになっておるのが常ですが、わたしがついつい手にとってしまうのはきまってノート・ブックなのでした。モンブランの試し書き用に、手ごろな紙はないかと部屋じゅうひっかきまわしたところ……ばさりばさりと出てくるわ、形も材質も、その出身地もさまざまなノートたち。どれもがただの一文字も筆記されることなくうつくしいブランクを保っておって、おお、へたっぴな万年筆の練習台に汚すのはもったいなく思えます。
とくに印象的な、三冊のノートが手元にあります。いずれも昨年訪れたポルトガルで購入した自分への土産物で、やはりヨーロッパっ子の矜持をもってか、いちだんすました空気をまとっている。
ひとつは、あざやかなマスタード色の表紙の隅に、前足を振り上げた馬のイラストがプリントされたA4サイズの大きなノートです。中紙は硬めの画用紙のようなつくりで、筆記というよりはスケッチに向いてそうだなあ、と隅に書かれた「caderno desenho」というポルトガル語をなにげなくGoogle翻訳にかけてみれば「図面ノート」の意味らしい。となりには「papelaria fernandes」=「フェルナンデス文具」のロゴがそっけなく入っており、なんだか工業製品めいた無骨な雰囲気、まさにプロの仕事道具然とした面構えがお気に入りなのでした。
もうひとつは、分厚い革でできた表紙に、粗く漉された絹ごしどうふのような目をもつ(かなしいかな、極めて日本的なたとえしか浮かばなんだ)中紙をとじた小ぶりなノート。上半身裸の男性がカナヅチのようなものを振り上げているシンボルマークと「LIVRARIA LELLO PORTO」というロゴが刻印されていて、その文字が示す通りポルトガルの首都・リスボンから少し離れた港町、ポルトの有名書店「リヴラリア・レロ」で購入したものです。
この場所はガイドブックの宣うところ「世界でいちばん美しい書店」のひとつであり、あのハリー・ポッターシリーズの作者、J・K・ローリングも足繁く通っていたのだとか(彼女は英語教師として一時期ポルトに赴任していた)。たしかに観光人気のあまり別の建物でチケットを買って行列に並ばなければ入場できないという規格外の書店であって、そこで記念にと手にとったのがくだんの革張りノートなのだけれど、やはりというべきか比較的物価の安いポルトガルにあっても少々値の張る買い物でありました。それでもわたしをレジに運ばせたのは、さながらいにしえの魔法書のような風貌の呪力か、なんやろか。東京のぼろアパートに連れさった今となってもなお、むせ返る革の芳香とともに存在感をはなっておって、まあ仰々しいことです。
最後が、黒い表紙に渋い銅色のツバメがプリントされた縦長のノート。分厚いゴムひもで、同じく真っ黒な軸の鉛筆がしばってあるのが特徴で、これは上に紹介した「図面ノート」と「魔法書」のちょうど中間と言いましょうか、スタンダードなノートブックと呼んでよい代物なのです。「A VIDA PORTUGUESA」というとびきりキュートなお土産屋で購入したのですが、華やかなつつみのかぐわしい石鹸や、美しいアレンテージョ・タイルなんかを差し置いてこの地味なノートを選んだ理由がこれまたわからぬ。ただ、そのざらついた真っ黒な面つらと、はばたくツバメのしとやかな可愛らしさに、なにか手に馴染むものを感じたのかもしれません。
ツバメの下に、同じ銅色で「nota bem」との文字が印字されています。この「nota」はノートのことかしら、などとぼんやりGoogle翻訳に放り込んだとたんにあっと声がもれました。
「よく注意してください」
正確な訳かも、その言葉の向く先もわかりません。けれど、ぼんやりとスロウ・バックしてゆく記憶を割いて、ふと銅色に輝くツバメがまっすぐ眼前に飛び迫ってくるような、それはポルトガルへ向かう二十数時間のフライトを終えたわたしに襲いかかったジェットラグよりさらに、いっそうはげしいめまいを引き起こす鮮烈なイメージでした。
いまだそれらのノートを汚しえぬわけも、その厳然たる宣告のためだったのでしょうか。気づかないうちに打ち込まれたブロンズの釘を前にして、少なくとも「よく注意して」ペンを下ろすことができるようになるまでは、その中紙はまっさらにうつくしいまま、そっと眠らせておくしかないのんか……。臆病なわたしの脳裏には、ただぼうぼうと反響し続けています。「よく注意してください」、「よく注意してください」!
●本日の一曲
拙作『Circles』より。ポルトガルを訪れた実際の印象と、アントニオ・タブッキ『レクイエム』におけるリスボンのマジカルなイメージを重ね合わせて書きました。歌詞に登場する「鳥」はツバメのイメージ。ビデオは犬が主役だけれど……。
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