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窓の開け方【Sandwiches #4】

 隣室のもごもごがきこえてしゃーない、かなわん、というお話をしましたが、今朝起きてみればあれね、目覚ましアラームの音なんかもすっごくきこえるのね。全然なりやまないの。顔も知らぬネイバーはねぼすけらしい。

 まあいいや、と窓など開けてわたしの朝ははじまるわけですが、窓っつうても自室がまた1階なもんで、べこべこの石塀が目の前にどどんと、あらゆる感慨をよせつけぬそっけなさであって絶景です。いきぐるしい。これを目にするにつけ、生まれてこのかた狭い部屋に閉じこもってきたのだねお前、青白いぼんくらめ、とどやされた気分になります。

 そういえば最近「環世界(独語で Umwelt)」という言葉を知り、それに紐づけるかたちでいくつか本を読んでいました。みなさんはご存知でしょうか、「環世界」。手に取ったひとつ『情報環世界―身体とAIの間であそぶガイドブック』という書籍の序文にはこう説明書きがのっています。

この概念は、生物はそれぞれの身体や感覚器官の制約に基づく閉じられた世界で、自分なりの意味を見つけながら生きているということを意味します。例えば、蝶は紫外線に感度があり、その環世界には紫外線が存在していますが、人間の環世界に紫外線は存在しません。

2019年 NTT出版株式会社『情報環世界―身体とAIの間であそぶガイドブック』p.8より

 わたしたちが生きているこの世界も、あくまで人間という生物固有の感覚器官&身体作用によってたちあらわれる「閉じた」世界というわけです。空間を同じくしたとて、わたしと蝶と、生きている世界は全然違うものなのね。考えてみればあたりまえ?

(引用書籍の著者のひとり・緒方壽人氏のnote記事に丁寧な説明がありました。興味のある方はぜひ読まれてください)

 不勉強ながらわたしはこの概念について友人に教えてもらうまで知らなかったのだけど、上にもあるように最近では「情報環世界」という造語が生まれているそうで……。

 わたしたちが当たり前のように利用しているインターネットの検索エンジンやSNS上では、高度なアルゴリズムによって個人へのコンテンツの最適化が行われています。それぞれのユーザーが好むであろう情報を、優先的に表示するようにデザインされている。

 これはとても快適であるいっぽう、好まざる情報たちがどんどこ遮断されてゆく閉じた情報環境とも捉えられます。現代ではひとりひとりがフィルタリングされた己の「情報」環世界の中で生きている、と言えるわけです。

 自覚のあるなしに関わらず、そうしてわれわれの視野がそっと狭められているのは事実でありましょう。もちろん、この情報社会において荒れ狂うデータの大海原を安全・快適に航行するためには同種のフィルタ作用が必要なのだと、それは理解しているつもり。でももし、見える世界に閉塞感を感じているのであれば……、己をとりかこむ柵をこえてゆくような、冒険心あふれるマイ・センスのひらき方をこころざしたい。

 とどのつまり冒頭の話に戻るとすれば、視界に立ちふさがるフィルタ、もといべこべこの石塀と対峙しながら「好まざる」隣人の話し声やアラーム音も取り込むような、そんな窓の開け方をする必要があるのだなあ。そう考えたわけでした(雑な着地でごめんなさい)。やっぱりうるさいけれどもよ!

●本日の一曲

拙作『KINŌ』より「Eyepatch」……「みるのはこわ〜い、みないのもこわ〜い」などとのたまっております。いつだって世界の輪郭はあいまいで、ほんとにこれ、なんぞこれ、てな感じでさ、メガネをはじめてつくってかけたとき、その視界のヴィヴィットさにびっくり仰天したものね。「超・環世界ゴーグル」みたいなひみつ道具があったらいいな。

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